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July 07, 2004

リストップ 日本上陸の戦略を聞く(iNTERNET magazine 2004年7月)

 日本ではキーワード広告といえばオーバーチュア、グーグルの2社だけに注目が集まっている。だがアメリカやヨーロッパに目を転じれば、2強の傘下に入らず、独立路線を歩むキーワード広告企業が存在している。
 その最右翼が、FindWhat.com社だ。同社は1998年の創業。今年の第1四半期、前年から50%以上もアップした約2470万ドルもの売上げを確保し、2004年通期の業績見通しを上方修正するなど、絶好調のまま突っ走っている。ExciteやWebcrawler、CNET's Search.com、InfoSpace's MetaCrawlerなどのポータルサイトに検索エンジンを提供しており、検索クエリー数も非常な勢いで増えつつあるようだ。
 また今年初めには、欧州のキーワード広告企業Espotting社を1億6300万ドルで買収。EspottingはYahoo! UKやYahoo! Ireland、Ask Jeeves、UK Plus、easyInternetCafeなどに検索エンジンを提供しており、欧州域内では1、2位を争うキーワード広告企業として知られている存在だ。
 そしてこのFindWhat.comが、とうとう日本にも上陸してきた。といっても日本法人を立ち上げたわけではない。総合商社の三井物産と提携し、FindWhat.comのシステムを使ったキーワード広告サービス「リストップ」をこの7月にサービスインさせたのである。
 唐突に登場した雰囲気もあるリストップだが、準備は周到に続けられてきたようだ。最初に三井物産との提携が発表されたのは昨年9月で、この後今年3月には試験サービスを開始し、日本語ローカライズなどを進めていた。
 オーバーチュアとグーグルの2強がヤフーやMSNなどの大手ポータルサイトをがっちりと押さえてしまっている日本市場で、参入の余地はあるのだろうか?
 三井物産でリストッププロジェクトのマネージャを務めている斉藤尚弘氏に、そのあたりの疑問を直撃してみた。

――オーバーチュア、グーグルと比べ、リストップの売りは何なのでしょうか?
斉藤氏 両社は大手ポータルから巨大なトラフィックを誘導していますが、リストップはもう少しニッチなところを狙っています。基本的には、オンラインショッピングサイトを開いている企業が利用しやすいキーワード広告を、コンバージョンレート(成約率)が高そうなショッピング専門サイトなどに配信するという戦略です。
――価格も安めに設定するということでしょうか。
斉藤氏 そうです。オーバーチュアやグーグルでは最低落札価格も高めで、しかも人気キーワードとなると実際に落札される価格は数十円や数百円にまで達しています。小規模なショッピングサイトにとってはかなり高額だと思います。リストップは最低落札価格を5円に設定し、実際の落札金額も5円からせいぜい最高10~20円程度に抑えられるのではないかと考えています。
――現在広告を配信しているサイトは。
斉藤氏 価格comをはじめ、日経ネットやインターネット書店「Jbook」、ISPのJENSなどに提供しています。交渉中やテスト中のサイトも数多くあり、年内には20~30サイトにまで増やしたいと考えています。
――対オーバーチュア、グーグル戦略は?
斉藤氏 もともとポータルサイトや検索エンジンを独自で持っておらず、ヤフーのような大きなトラフィックがあるわけではないので、真っ向勝負ができるとは思っていません。あくまでリスティングのプロバイダとしてサイトに広告を供給し、専業事業者として提携サイトの広告売上げアップに協力していきたいと思っています。
――今年の目標は。
斉藤氏 売上げの具体的数字は申し上げられませんが、とりあえず今年は来期への基盤作りの年です。提携サイトの獲得に全力を挙げ、来期のジャンプアップにつなげたいと考えています。

 三井物産のインターネットビジネスといえば、最近はアフィリエイトの「リンクシェア」に注目が集まっている。他にもポイントプログラム「ネットマイル」やショッピングサーチ「アラジン」、Eメールマーケティング「ミームス」などBtoCを中心とした事業展開を進めている。リストップ事業については、従来のインターネットビジネスを補完する形で、さらにチャネルを増やしていくという戦略の一環として位置づけられているようだ。
 真っ向勝負をかけずにニッチを目指していくという戦術は、非常に興味深い。特にショッピング系の検索エンジンビジネスは今後成長が期待される分野となっているだけに、リストップの動向は今後注目を集めそうだ。

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ルックスマートの生き残り戦略(iNTERNET magazine 2004年7月)

 ヤフーとグーグルの提携解消は、日本の検索エンジン業界全体に地殻変動を呼び起こす可能性を秘めている。その影響はいったい、どのように波及していくのだろうか。
 十数社のポータルサイトにディレクトリ検索を提供し、サブサイトリスティングと呼ばれるペイーフォーインクルージョン(PFI)広告モデルで収益を上げているルックスマート・ジャパンのティム・ウィリアムズCEOに、激動期の「生き残り戦略」などについて聞いた。

――まずルックスマートの広告モデルについて教えてください。
ウィリアムズ氏 ポータルサイトにディレクトリ検索を供給しています。特徴は3つあり、まず第1にディレクトリにどのサイトを登録し、どんなタイトルと紹介文を加えるのかをわが社の有しているプロの編集者が行っていること。登録・編集作業には厳格なガイドラインがあり、ユーザーにもっとも適したサイトをきちんと紹介できることを目的としています。第2に、総数30万3000に上るディレクトリのうち、2万8000がリスティング広告になっており、オーバーチュアやGoogle AdWordsのようなオークション方式ではなく、1クリック当たり75円の均一価格というCPC(Cost Per Click)の課金体系を導入していること。そして第3に、CPC以外にCPA(Cost Per Affiliate)という成果報酬型のモデルも導入していることです。
――会社の主な収益源は、サブサイトリスティングということになるのでしょうか。
ウィリアムズ氏 そうです。ディレクトリを提供しているポータルサイトに対してはリスティングの収益の一部を還元する仕組みになっています。
――サブサイトリスティング広告の強みは何でしょうか。
ウィリアムズ氏 クリック率は他の広告と比べて若干低いかも知れませんが、コンバージョンレート(成約率)は非常に高いのが強みです。人間の編集者がディレクトリの選択からタイトル、紹介文まで作成しており、利用する側がURLをクリックした場合に「タイトルと内容が違っていた」というように裏切られる可能性はほとんどありません。求めたコンテンツがクリックした先にきちんと存在しています。しかも検索結果のランキング順位は、クライアントが支払った広告料金の順位ではなく、ユーザーのために役立つかどうかという観点から決められています。これらがコンバージョンレートを上げることに役立っていると考えています。
――今後、検索エンジン業界ではヤフーやマイクロソフトなどの囲い込みが進むのではないかと見られていますが。
ウィリアムズ氏 たぶんわれわれが今後、独自のディレクトリを持っているヤフーにディレクトリを提供することはありえないでしょう。グーグルとのビジネスも期待できないと思います。でも現在のところ、MSNにはディレクトリを提供しています。MSNの戦略が今後どうなるのかは私たちにはわかりませんが……。しかし少なくとも、ルックスマートの今後のフォーカスは、MSNや他のポータルサイトなどと提携し、ディレクトリを提供していくということになると思います。
――ポータルは何もヤフーだけではないということですね。
ウィリアムズ氏 世界的に見れば、ターゲットを細かく絞ったポータルサイトも数多く登場してきています。世界的には、そうしたバーティカルな専門ポータルこそが今後の大きな流れになるといってもいいでしょう。
――ルックスマートは、そうしたポータルに対するセールス戦略はあるのですか。
ウィリアムズ氏 われわれのディレクトリは、フレキシビリティが大きいのが非常な強みとなっています。ポータルによってターゲットオーディエンスは全然異なり、たとえばディレクトリをごく堅い真面目なものにするか、あるいは女性向けにするか、若者向けにするかといった依頼がさまざまに来ています。運営企業の自社グループのみが含まれたディレクトリを求められる場合もあります。ルックスマートのディレクトリは、多様なインプリメンテーションが可能になっており、さまざまなポータルに対応できます。
――今後、コンペティター(競争相手)が登場してくる可能性は。
ウィリアムズ氏 日本国内でもコンペティターは登場しつつありますが、ディレクトリは構築するのに非常に長い時間のかかるシステムです。たとえばルックスマートが現在、30万余のディレクトリを作り上げていると言っても、その中の数千ページは毎月消滅していくのです。そうした動きに対応し、膨大な数のディレクトリをユーザーフレンドリーな形に提供していくというクオリティの維持はたいへん手間のかかることで、そう簡単にはルックスマートに匹敵するサービスが登場するとは思っていません。

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オーバーチュア新社長上野正博氏に聞く(iNTERNET magazine 2004年7月)

 キーワード広告の雄、米オーバーチュアが米ヤフーに買収されたのは今年2月。ノルウエーの検索エンジンであるファストや古株の検索エンジン企業インクトゥミなどを次々と買収してきたヤフーは、圧倒的な資金力を武器に対グーグル包囲網を固めつつあるように見える。オーバーチュアがヤフーの世界戦略の一環に組み込まれつつある――というグローバルな構図は明らかだ。
 そしてこうした動きに呼応するかのようにヤフー日本法人はこの6月、グーグルとの提携を解消し、デフォルト検索エンジンを自社の独自技術「Yahoo Search Technology」へと移行させるとともに、キーワード広告でもグーグルを排除してオーバーチュアに一本化した。この怒濤の流れの中で、オーバーチュア日本法人も今後、ヤフー戦略の中へと巻き込まれていくのだろうか? 創設者の鈴木茂人社長に代わり、この七月に着任したばかりのオーバーチュア日本法人新社長、上野正博氏に聞いた。

――上野社長は以前からトランスコスモスでウエブマーケティング部隊を率いるなどして、検索エンジンマーケティング(SEM)の世界に深く関わってきたそうですが、オーバーチュアのビジネスモデルについては、どのように認識していましたか?
上野社長 企業サイトへのトラフィックを誘導してくる手法として、きわめて有効なマーケティングツールであると考えていました。オーバーチュアに対しては当初から、そうした堅固なビジネスモデルを持っている会社という認識です。インターネット広告の世界ではこれまで、さまざまなツールが使われてきました。その歴史の中でも、キーワード広告はその中でも最も効果が高く、そしてわかりやすいモデルを提示していると思います。
――キーワード広告では、強敵のGoogle AdWordsとどう戦っていくのかが常に目前にある大問題だと思いますが、その戦略は。
上野社長 グーグルとオーバーチュアは、決して同じサービスを提供しているわけではありません。グーグルがそのすぐれたテクノロジをいかに機能的に使いこなしてもらうかということに注力しているのに対し、オーバーチュアは人手をきちんとかけ、サービスの向上をはかっていくということを企業理念として掲げています。このていねいなビジネス手法を崩さないでやっていくのが、もっとも大きな戦略だと思います。
――この6月にヤフー日本法人のキーワード広告がオーバーチュアに一本化されましたが、どの程度の好影響がでているのでしょうか。
上野社長 問い合わせや申し込みの数は増えましたし、何よりも広告クライアントの方たちから「わかりやすくなったね」と言われるようになりました。これまではヤフーで検索すると、検索結果にグーグルとオーバーチュアの両方が表示され、ナショナルクライアントの方などからは「どちらに申し込めばいいのか?」と戸惑いの声が少なくなかったようです。しかし100%オーバーチュアに切り替わったことで、ヤフーの検索結果に広告を掲載するのであれば、オーバーチュアを購入すればいいと明快に説明できるようになったのです。
――売り上げもかなり増えたのでは?
上野社長 6月はAsahi.comなど新たにオーバーチュアを導入していただいたポータルもありましたし、またこの時期はボーナス商戦でページビューが全般的に増える時期なので、さまざまな要因が背景にあったとは思いますが、売り上げがかなり急上昇したのは事実です。
――ヤフーには感謝するしかないですね。
上野社長 そうですね、ありがたみとプレッシャーを両方感じています。
――それぞれの米国法人が買収によって親子関係になってしまっているわけですが、ではヤフー日本法人とオーバーチュア日本法人の関係はどうなっているのでしょうか。「いとこ」などという説明もあるようですが……。
上野社長 ご存じのように、オーバーチュア日本法人は米オーバーチュアの100%子会社ですが、ヤフー日本法人は米ヤフーの100%子会社ではありません。だからオーバーチュア日本法人がヤフー日本法人の子会社になるということではなく、やはり「いとこ」とか「親戚関係」と説明するのがもっともわかりやすいと思います。
――ヤフーがキーワード広告をオーバーチュアに一本化し、関係はかなり強まっているのでは。
上野社長 ヤフー日本法人からはトラフィックを100%お任せいただいてますから、最大のパートナーであるのは事実です。ただ、それはあくまでビジネスパートナーという位置づけです。
――米国の検索エンジン市場を見ると、ヤフーとグーグル、MSNの三強による三つ巴の戦いという構図ができあがりつつあります。オーバーチュア日本法人も、この構図に巻き込まれていくのではないでしょうか。
上野社長 3社が米国で市場シェアをどう奪い合っていくのかはわが社には関心のあることがらではありますが、しかし事業収益に直結するものではありません。それにグローバルな視点で見れば、欧州などでは業界構造はかなり異なっています。ただオーバーチュアとしては、ヤフーと強力な関係を保っていて、そしてヤフーに力があるというのは非常に嬉しいことですし、同様にヤフーに次ぐ大きなパワーのあるMSNともきっちりとした関係構築を行っているというのは、事業運営上非常に大きな意味のあることです。
――全方位外交ということでしょうか。
上野社長 オーバーチュアは、ヤフーだけを見て事業運営しているわけではありません。国によってヤフーの持っているマーケットシェアは異なっており、オーバーチュアはそれぞれの国で必要に応じて強力なパートナー作りをしていくということです。
――パートナーの条件は?
上野社長 このキーワード広告というビジネスの場合は、検索クエリー数がどれだけあるかで事業規模が決まってくるということがあります。つまりは検索クエリー数が多く、そしてそのトラフィックの品質が良いパートナーが、オーバーチュアにとっての良いパートナーであると言えると思います。
――日本国内のキーワード広告市場は、まだ伸びるでしょうか。
上野社長 以前はバナー広告を使っていただけなかったような業種のクライアントも、最近はキーワード広告に参加していただいています。まだまだその裾野は広がっていくでしょうね。
――ナショナルクライアントのネット広告市場への参入も目立つようになってきています。
上野社長 キーワード広告に関して言えば、ナショナルクライアントが十分に活用していただいているかと言えば、まだそこまでには至っていません。ただ日本の一般家庭にブロードバンドが普及し、何かを調べたい時に検索エンジンを使うというライフスタイルはかなり一般的になってきています。その変化の中で、ナショナルクライアントの意識もようやく変わってきているようです。現在は、ちょうどその入り口にあるという段階でしょうか。
――ナショナルクライアントが本格参入してこれば、ドラスティックに業界も変わるでしょうね。
上野社長 市場規模はかなり拡大すると思います。アメリカでは広告市場の3分の1をネット広告が占めるといわれていますが、日本でも同程度ぐらいにまでは拡大していくと思います。
――オーバーチュア日本法人は他国のオーバーチュアと異なり、代理店システムを大胆に取り入れた営業戦略を採っていますが、この戦略に変化はないのでしょうか。
上野社長 その路線にはまったく変更はありません。今まで以上に、代理店との関係を強化していきたいと思っています。
――地方の小規模店舗などに対する営業戦略は。
上野社長 潜在的な市場は数多くあると思います。地方でもこれまでに何度か、オーバーチュアや代理店が主催し、その場でキーワード広告に申し込めるセミナーなどを開いており、今後も展開していきたいと考えています。
――キーワード広告というビジネスモデル自体の将来性はいかがでしょうか。
上野社長 私はすでに6~7年、インターネットのマーケティングビジネスに携わっていますが、これほど多業種にわたって費用対効果の高さも含め、使い続けたいと感じた広告商品はキーワード広告が初めてでした。今までのバナー広告やオプトイン広告ももちろん有益な商品だったのですが、キーワード広告ほどさまざまな広告主に当てはまるターゲットの広さはなかったと思います。
――今後、新規株式公開(IPO)の予定は。
上野社長 今のところまったくないですね。親会社である米オーバーチュアや米ヤフーからも、そういう話は来ておりません。

上野正博
40歳。大阪府生まれ。慶応大学商学部卒業後にリクルートに入社し、1998年、ダブルクリック代表取締役社長。2001年にトランスコスモス取締役、2003年ダブルクリック会長を経て同年トランスコスモス常務取締役に就任。2004年7月、オーバーチュア社長に転じる。

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July 06, 2004

全国の自治体で初めて策定 防犯カメラ設置条例の意義 (e.Gov 2004年7月)

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活発化するオフショアリング――あるベンチャーのケースから(Computer World 2004年7月)

 企業のオフショアリング(雇用の海外移転)が日本でも活発化しようとしている。特に今後注目されるのは、ソフト開発の海外移転だ。先行するオフショア大国アメリカでは、同じ英語圏であるインドなどに活発に技術移転が行われ、オフショア開発が進められている。日本でも今後、システム開発の現場はオフショアリングへと傾斜していくのだろうか。

 果たしてシステム開発という高度な技術の海外移転は、実際にはどのようにして行われるのだろうか。
 ごく小規模のベンチャー企業ながら、実際にポーランドにオフショアリングを行い、一定の成功を収めている企業がある。その企業「Sentivison」のケースから、海外でのソフト開発がどのようなものなのかを、じっくりと考えてみたい。
 Sentivisionという企業名を知らない人も多いだろう。しかし同社の母体となっているのがスターDSLであると言えば、「ああ、あの企業か」と思い出す人も多いのではないだろうか。スターDSLはxDSL回線向けの動画配信システムの開発・販売を手がけ、ブロードバンドビジネスの先駆的存在として業界で大きな注目を集めていた企業である。同社は東大を卒業後、TBSで番組制作を手がけていた佐野荘氏が麻布中学・高校時代の同級生だった明瀬洋一氏らとともに2000年に米国で設立。2001年には日本で法人化し、社名をキュービーに変更した。
 同社のビジネスは、映像コンテンツをコンテンツホルダーから提供してもらい、コーディングを行ってエンドユーザー向けに配信するというビデオオンデマンド(VOD)事業を行うというものだった。コーディングからストリーミング配信、セットトップボックス(STB)の開発・製造まで、ブロードバンドの映像ビジネスの垂直統合を狙ったのである。だが出資元のベンチャーキャピタルとのトラブルなどもあり、2002年には佐野氏や明瀬氏ら創業メンバーはキュービーを手放し、新たにSentivisionを設立。現在は事業をSTBの開発だけに絞り、周辺機器メーカーとの開発委託契約で収益を上げつつ、独自のSTB開発を進めている。
 いずれにせよ、このストリーミング配信システムのソフト開発を海外に委託して行うというのが、同社の当初からの戦略だった。国内ではそうした方面の技術者があまり多くなかったからである。
 現在、Sentivisionの代表取締役を務めている明瀬氏が語る。
 「映像のコーディング技術は非常に特殊で、安価だからという理由だけで技術力の低い国や会社に委託することはできなかった。おまけにLinuxでの運用を前提にしていたため、Linuxでマルチメディア関連のシステムを開発できる企業はほとんど存在せず、探すのはひじょうに難しかった」
 そこで明瀬氏らが取った戦略は、米ニューヨークで開かれていたEmbeded OS関連のコンベンションに出かけ、「Linuxでマルチメディア関連の技術を持っているところがあったら教えてほしい」と数百枚も名刺をばらまくというものだった。成果はすぐに現れた。コンベンションが終了してから、「ポーランドに優秀な技術者グループがある」という情報がもたらされたのである。
 明瀬氏はニューヨークからそのままポーランドの首都ワルシャワに飛び、その技術者グループが所属していた企業に電話でアポイントメントを取って、関係者に面会を求めた。目星を付けていたプログラマーは約10人のグループを作っており、チーム丸ごとでその企業に雇われていた。交渉はその企業との間で行われ、開発委託契約は滞りなく締結された。明瀬氏は高校を卒業してから米国生活が長く、一方、ワルシャワプログラマーグループの中心的な人物も米国在住経験があり、英語でスムーズに意思疎通できたことも潤滑油となったという。
 一方、別のルートで台湾の企業に開発を委託する話もすでに持ち上がっていた。台湾とポーランドのどちらかに絞るという選択肢もあったが、ベンチャー企業として立ち上がったばかりの同社には、海外に開発を委託するのは初めての経験である。片方に全面的に依頼することには、リスクが大きいと考えられた。第1のリスクは、もし相手先が開発が遅れたり、あるいは技術的な壁にぶち当たるなどしてしまった場合、明瀬氏の会社もろとも共倒れになってしまう可能性があることだった。
 そして第2のリスクは、コア技術を全面的に委託先に負ってしまえば、企業の命運を握られてしまう可能性を秘めていたことだった。もし仮に開発が完了した後、「製品を改良するにはさらに多くのコストがかかる」などと委託料のアップを要求されれば、日本側は要求を呑まざるを得ない。コア技術を外部に渡すというのは、きわめてリスクの大きい経営戦略である。
 そんな判断もあって、最終的には台湾とポーランドの双方に委託するという形で話は決着した。クライアントマシンであるSTBのソフトは台湾が開発し、ポーランドはサーバのソフト開発を行うという分担である。
 開発が始まってみると、懸念は的中した。台湾の開発現場ではトラブルが頻発し、製品がなかなかできあがってこなかったのである。おまけに日本からの問い合わせに対する対応もあまり良くなく、日本側スタッフが「それは責任逃れではないか?」と感じる場面も少なくなかった。
 一方、サーバアプリケーションの方が開発がたやすかったこともあり、ポーランド側は順調に工程が進んだ。納期もきちんと守られ、日本からの問い合わせに対するレスポンスも迅速だった。現在はSentivisionのCTO(最高技術責任者)に就任しているポーランド側のスタッフは、ていねいに開発進行状況のドキュメントを作成し、日本側への連絡を絶やさなかったのである。ポーランドチームに対する信頼と評価は日増しに高まった。
 そこで明瀬氏らは考えた。納期が遅れている台湾の現場をポーランドの責任者に見てもらい、今後の見通しなどについて判断してもらえば良いのではないだろうか?
 同社はポーランドのプログラマチームのリーダーを台湾に招き、開発現場の抜き打ち検査を実施した。現場をつぶさに見たリーダーは数多くの問題点を指摘したうえで、「このままここで開発を進めるのは難しいかもしれない」と意見を述べた。
 そうしたやりとりの結果、開発はポーランド側に一本化されることになった。つまり、STBのソフトもポーランドで開発されることになったのである。
 明瀬氏は振り返る。「実際にワルシャワでの開発をスタートさせてみると、台湾が半年かけても完成できなかったSTBソフトが、わずか2週間でできあがってしまった。おまけに、それまでに台湾の会社には数千万円ものコストを投下していたのだが、ワルシャワは人件費が安く、その数分の1のコストですんでしまう。いったい今までの苦労は何だったのかと思わせた」
 東欧と言えば旧社会主義圏というイメージが強く、ITとは縁遠いように見える。実際、日本では東欧のIT業界にはまったく馴染みがないと言ってよいだろう。しかし実際には、東欧の技術力は決して低くない。たとえば1970年代からIBM提供で続けられている「ACM国際大学対抗プログラミングコンテスト」では、80年代半ばまでは上位校のほとんどを米国が占めていた。ところが80年代後半からロシアや東欧、インド、中国など非西欧諸国の大学が上位を占めるようになっている。たとえば米ロサンゼルスで行われた2003年度大会では、優勝したのはポーランドのワルシャワ大学。ついでロシアのモスクワ国立大、サンクトペテルブルグ精密機械工学研究所、スロバキアのコメニウス大学と上位4位をロシア・東欧地域が独占している。日本は11位にようやく東大が入っているだけだ。アメリカにいたっては、入賞さえしていない。
 なぜこれほど東欧の技術力が高いのかははっきりしていないが、IT業界のある専門家は、「プログラムという仕事は非常に地道で、すぐに収入に直結するわけではない。ほかに金儲けの手だてがある豊かな社会となると、徐々に手を出す人が少なくなっていくのではないか。東欧はまだ貧しく、他にあまり娯楽がないため、コンピュータ1台ととことんつきあえるプログラミングに熱中する人が多いのかもしれない」と話す。実際、ソフト開発には大規模な設備投資は不要で、資金力の乏しい発展途上国が取り組む産業としては絶好という指摘もある。
 ポーランドでは、国内にソフト産業が育っていないという問題も大きい。ワルシャワ大学などが優秀な人材を輩出しても、就職先がないのである。結果として、優秀なプログラマが安い給料でつまらない仕事をこなしているという状況に陥ってしまっているケースが少なくない。ワルシャワでの初任給は日本円で7~8万円程度と、日本の半分以下だ。地方に出れば、給与レベルはさらに低くなる。
 加えて、東欧では反米的な空気が強く、そうした風潮を受け、米グローバリズムの象徴的存在であるマイクロソフト社の製品を敵視するプログラマが少なくない。結果として、Linuxが非常に盛んになっている。高価なWindowsに対抗し、オープンソースのソフトウエアを自力で作り上げようというムーブメントが起きているのだ。
 話を戻そう。ACMコンテストで1位になったワルシャワ大学は、Sentivisionのワルシャワプログラマたちの大半が通っていた大学だった。彼らの技術力が高いのは当然といえるだろう。
 そして開発が進むに連れ、明瀬氏らは考えるようになった。「彼らが属している企業と契約するのではなく、運命共同体となって一緒に会社を作った方がいいのでは?」と。
 最大の理由は、先に挙げた「コア技術を全面的に委託すると、会社の命運を握られてしまうのではないか」という懸念だった。システムの一部だけならともかく、企業のコアとなっている製品のソースコードすべてをワルシャワの会社が管理していることになるのは、非常に怖い状態だったのである。もちろん著作権は日本側が所有しているとはいえ、何かの拍子にそれを何らかの取引条件にされう危険性だってある。たとえばシステムの一部だけを委託しているのであれば、値上げを要求されても突っぱねることができるが、全部委託では値上げ要求を断れない。生殺与奪を握られてしまうのである。おまけに相手は海外の企業で、日本企業同士のような阿吽の呼吸は通じない。
 かといって、今さら他の企業に開発の一部を再委託するという選択肢はなかった。何より、ワルシャワチームの技術力の高さは、できあがった製品が証明している。そこで明瀬氏らが考えたのは、「運命共同体になろう」という戦術だった。つまりは引き抜きである。
 プログラマチームにワルシャワの会社を退社してもらい、日本の子会社というかたちでワルシャワに新たに法人を設立してもらおうという計画である。
 日本企業の子会社設立という驚くべき提案に、最初は不安を感じ、難色を示していたプログラマチームだったが、最後はその提案を受け入れた。メンバーは以前から独立して起業を狙っていたこともあり、日本側からの提案は「渡りに船」とも言えたからだ。先に述べたように、ワルシャワには大手ソフト会社は存在しない。日本であればあっという間に大企業がさらっていってしまっているような優秀なプログラマが、ワルシャワでは大げさに言えば、行く場所もないままゴロゴロしているというような状況になっているのである。そしてそうした状況は、日本から進出した小さなベンチャー企業にとっては、幸運以外の何者でもなかった。明瀬氏は「ワルシャワではきわめて優秀なプログラマが、アルバイトでしのいでいるというのも珍しくない。急速にインターネットが普及していった現実に対して、IT産業の発展がついていっていないというミスマッチの問題だと思う。若者がコンピュータに親しんでプログラマになったけれども、働く場がない。東欧の主産業は自動車などの製造業で、まだ知識集約型のIT産業は育つまでには至っていない」と話す。
 交渉は進み、しかし雇用主の企業との契約関係が無事にクリアできるかどうかという問題は残っていた。だが現地で弁護士を雇用し、雇用主との交渉を進め、退職前の数か月分の給与をペナルティとして支払うという形で決着した。
 子会社設立という行動に踏み切ることができたのは、双方のスタッフ間に強い信頼関係ができていたことが大きかった。わずか1年足らずの間に、日本側スタッフとワルシャワチームはお互いを頻繁に訪問し、十数回のミーティングを重ねていたのである。
 ワルシャワの子会社設立に当たっては、現地スタッフがポーランド人弁護士を雇用し、順調に行われた。もっとも旧社会主義国だけあって、その手続きは煩雑そのものだったようだ。日本であれば1日で完了する法人登記に途方もない時間がかかったり、銀行口座を開設することさえ容易ではなかった。またポーランドには資本金制度はなく、数十万円分の株券を新規発行することで会社はスタートした。
 その後、Sentivisonのワルシャワ法人は順調に成長を続けている。「少数精鋭の技術者集団を目指している」と明瀬氏は話すが、メンバーはすでに倍近くに増えた。当初は古い一軒家を借りて開発作業を行っていたが、現在は立派なオフィスビルに転居している。社員30人の規模に耐えられる広さだ。
 一方、Sentivision日本法人の側は、スタッフは4人だけ。営業担当が明瀬氏ら2人と経理が1人、それに日本側のシステム担当が1人いるだけである。明瀬氏は「日本にはこれ以上の人数は必要ない。開発のスピードアップには限界があり、数多くの仕事を取ってきても、開発の側が対応できない。良いプロジェクトをきちんと見分け、わが社の将来につながる仕事を取ってくるのが営業担当の役目となっている」という。そうした戦略の下では、数多くの社員は必要ないという考えだ。オフィスも同社の支援者である倉庫会社経営者から提供してもらい、東京・天王洲の倉庫の4階を間借りしている。エレベーターもトイレもない。
 明瀬氏は語る。「日本法人がワルシャワを子会社として持っているが、実際に収益源を作り出しているプロダクトはワルシャワで開発されており、資金もそちらに投下した方がいい。日本法人にカネを使う必要はないと思う。セールスの現場も現在は日本が中心になっているが、今後は欧米が売り込み先にななないとは限らないし、そうなれば日本法人は不要になってしまう」
 かなり極端な意見に聞こえるかもしれないが、企業の多国籍化というのはそうした考え方をベースに成り立っている。そしてITの発達によって、小規模なベンチャー企業でもオフショアリングによって多国籍化を進めることは十分に可能となっている。Sentivisonの戦略は、その先駆的な試みと言えるだろう。
 企業がシステム開発を海外で進める際には、どのような留意点があるのだろうか。明瀬は「結局は、人。人が最大の問題となる。現地にプロジェクトマネージャとして完全に信頼の置ける現地人のパートナーがいなければ、オフショアリングは成功しない」と強調する。日本人が直接、マネジメントを行おうとしても、失敗するケースが多い。「日本ではこのようにして進めているのに、なぜ君らはできないんだ」と文化摩擦を引き起こしてしまう悪例は少なくない。
 「高度な開発業務の場合は、集める人材に関して、非常に気を配った方がいい。お金だけで働かないプログラマーはたくさんいる。報酬を2倍渡して依頼しても、やってくれない。特に東欧のプログラマには理想家肌の堅物が多く、インセンティブは別の所にあるケースが多い。そこにビジネス感覚を持ち込んでも、摩擦になるだけだ」(明瀬氏)。
 単なる工場勤務とは異なり、ソフト開発に携わる技術者たちは、非常にセンシティブな人種なのである。だから現地スタッフのモチベーションを上げていく努力も必要だという。Sentivisonでは、スタッフの一部を定期的に日本に招待し、日本での販売先となっている大企業を見せるなどのイベントも行っている。「この会社のために自分はソフトを作っていたのか、と気持ちを再確認できる効果がある。単に仕様書を渡して、この通りに作ってくださいと支持するだけでは、モチベーションが高まらない。そこまで不要ではないかという人もいるが、私たちは運命共同体としてワルシャワのスタッフにそれだけの気を遣って仕事をしている」(明瀬氏)。
 そして最終的には、何度も足を運び、現地の人と何度も会い、現地の感覚を磨いていくことだという。
 結果的にSentivisonワルシャワ法人では、大学院に進学するために辞めた1人を除いて、これまでただ1人も退社していないという。オフショアリングとはいえ、相手も人間。コミュニケーションが非常に大切だということなのだろう。
 そこで日本国内では最近、ブリッジSEと呼ばれる職種が注目を集めるようになっている。これは進出する先の国の言語や文化などに精通し、間に入って円滑に開発が進むよう事細かに指示を出す仕事である。つまり橋渡し(ブリッジ)を行うわけだ。通常のSEと異なり、ITに関する知識や技量だけでなく、プロジェクトマネージャ的な能力も要求されるうえ、しかも他国の言語や文化に詳しくなくてはならないという非常に高度なスキルを要求されている。ブリッジSEとなりうるのは日本人とは限らない。実際、中国などでは日本留学の経験のある中国人技術者が、ブリッジSEとして活躍しているケースも多いようだ。
 優秀なブリッジSEを目指すのはきわめて困難だが、オフショアリングの進展で今後は花形職種のひとつとなっていくと見られている。

 現在のオフショアリングをめぐる状況は、どのようになっているのだろうか。
 高まるオフショアリング熱の背景には、ITの圧倒的な普及がある。1990年代までの海外移転と言えば、海外に工場を移転させ、そこでモノを製造するという方法が圧倒的に多かった。システム開発などのコアなビジネスを移転させようとしても、阻害要因が多すぎて不可能だったのである。それはまず第1に、移転先の国にコンピュータが普及しておらず、技術力が非常に低かったため、必要な技術者をとうてい確保できなかったこと。そして第2に、システム開発という微妙な仕事を進めるためのコミュニケーション環境が整っていなかったことである。だが90年代後半以降、ITが成長のためのキーテクノロジになるという認識が深まり、多くの非西欧諸国で技術者の養成が急ピッチで進むようになった。そしてインターネットが普及し、リアルタイムで双方がコミュニケーションを取り、データモデルの統合なども実現するようになった。そうした基盤の整備によって、ソフト開発という高度な業務の世界にも、オフショアリングの波が押し寄せるようになったのである。
 こうした背景の中で、インドや中国などに進出する企業は急増している。移転させる業務もコールセンターやソフト開発から、人事・経理といった間接業務まで、範囲は年々拡大しているようだ。
 米フォレスターリサーチの調査によれば、米国では2003年末までに約31万5000人分の雇用が国外に流出し、さらに2005年末までにその規模は83万人に達するとみられている。将来的にはさらに拡大し、2015年には340万人という未曾有の規模へと至るとみられている。
 オフショアリングは企業をグローバルに展開させ、効率よく人材配置を行うことで、経営効率を高めていくという効果があるとされる。
 しかしその一方で、国内の仕事を海外に移転してしまうことで、雇用が失われていくという批判も強く、米国では社会問題になりつつある。実際2001年以降、非農業部門の雇用者数は180万人以上も減少しているという統計もあり、雇用の喪失は数字で裏付けられているようだ。このため議会などでは、オフショアリングを規制する法律を制定しようという動きも出ており、実際に法案が提出されている。
 とはいえ、雇用の喪失という問題が本当にオフショアリングのためかどうかははっきりしていない。ITの普及による企業生産性の向上に理由を求めるエコノミストも多い。医療・年金保険料の企業負担が重いため、企業が従業員を減らしているという面もあるとされている。アメリカ企業の経営者団体などは、オフショアリングは企業の競争力を高め、国内総生産(GDP)の押し上げにつながると主張し、規制導入を阻止しようとロビー活動も展開しているという。
 とはいえ、オフショアリングの問題は雇用の喪失だけではない。他にもさまざまな問題を抱えている。そのひとつは、セキュリティや個人情報漏洩をどう防ぐかという問題だ。たとえば中国に開発拠点を移転しているある大手企業の担当者は、次のように語っている。
 「中国では個人情報や社内機密を義務として漏洩してはならないという意識がそもそも希薄で、退職した社員が社内のデータを持ち出すことは日常茶飯事となってしまっている。人材の流動性が高いため、転職を繰り返す人が多いこともそうした行為の横行に拍車をかけている部分があるかもしれない。日本の本社と中国法人との間をネットワークで結び、顧客データベースのデータモデルを統合するという計画もあり、確かに開発上は便利にはなると思うが、現実にそのようなことをしてしまえば、大規模な情報漏洩事件を引き起こしかねない」。
 開発やコールセンターなどを海外に移転する場合は、当然こうした事態を予測しなければならない。日本ではまだ始まったばかりといえるオフショアリングは、さまざまに難しい問題も抱えているのである。

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あの2ちゃんねるで流行? 「電車男」の純愛度(サンデー毎日 2004年7月)

 あの「2ちゃんねる」で、純愛物語が流行っているという。「冬ソナ」や「セカチュー」の純愛ブームが、「便所の落書き」と呼ばれる悪名高いインターネット匿名掲示板にまで、とうとう波及したのだろうか?

 通称「電車男」と呼ばれている物語は、作家が書いた小説のように誰かがひとりで創作したものではない。恋に悩む若者と、それを助ける2ちゃんねるのユーザーたちが掲示板上で書き込みによってやりとりし、そしていつしかひとつの大きなラブストーリーを作り上げてしまったのである。それはある種の「ノンフィクション」と言えるのだろうか。驚くべき話である。
 そのストーリーは、次のようなものだ。
 「電車男」と呼ばれる主人公は、22歳の独身男性。東京近郊の実家で両親と同居しており、「彼女いない歴22年」で「ルックスは秋葉原系」というから、ほとんど女性とは縁のない生活を送ってきたようである。
 その若者がある日、秋葉原からの帰りに電車で、酔っぱらいの男が周囲の女性客たちにからんでいるのを見つける。若者は思わず、「おい、やめろよ!」と叫んでしまう。逆に男にからまれたが、別のサラリーマンに助けられて男は駅員に取り押さえられ、騒ぎは収まった。
 この行動に助けられた隣席の若い女性客が青年に、
 「ぜひ今度、お礼をさせてくださいね」
 と話しかけた。彼女に住所と名前を書いたメモを渡して帰宅した若者は、
 「なんで俺、そこで相手の連絡先聞かなかったんだ……」
 と悔やむのだった。そしてこの話を若者はその日の夜、
 「出会いになるか分からないのですが……。あの時、俺にもっと勇気があれば」
 という言葉とともに、2ちゃんねるに書き込んだのである。
 話は二日後、大展開する。お礼の品物と手紙が若者のもとに届いたのだ。送ってきたティーカップはエルメスの高級品で、以降彼女は「エルメス」と呼ばれることになる。
 「ダメだなんか顔熱くなってきた。落ち着けオレ」
 と興奮する電車男。「掲示板の住人」と呼ばれる2ちゃんねるユーザーたちは、「今日中に電話した方がいい!」「いきなり電話では相手が引く。手紙でお礼を書いた方が」と口々にアドバイスする。
 電車男「本当にみんあありがとう でもやっぱ無理……手震えてるもん」
 住人たち「今日が最初だよ 次から手が震えなくなる ひとつ階段をのぼれるんだ」
 住人たちに激励された電車男は翌日、思い切って電話をかけた。
 電車男「今、一旦終わりました まだ手が震えてます なんかお風呂沸いたらしくて、また後でかけてくれるそうです ダメだ 緊張しすぎた……」
 住人たち「ティーカップのお礼に食事に誘え!」「落ち着け、がっつかないで『会ってお礼が言いたいのですが、いかがでしょうか』でいこう。食事か喫茶店か映画化は、後で考えよう」
 そしてエルメスを思いきって食事に誘うが、「それでは、どこで食事をしましょうか?」と言われて頭が真っ白になる。電話で話しながら、2ちゃんねるに「めし どこか たのむ」と断片的な文章を必死で書き込んだ。「とりあえず待ち合わせの場所を決めろ。店は当日まででいい」とあわててアドバイスする住人たち。
 電車男「今、終わりました 食事の約束取りつけました おまいら本当にありがとう」
 住人たち「よくやった、男だ!」
 この後、住人たちの間では、電車男の改造計画が始まる。住人たちのアドバイスを忠実に実行し、電車男は美容院で髪を切り、おしゃれな服に変え、ぴかぴかの靴を買い、コンタクトレンズを購入するのである。
 そんな計画のさなかにも、電車男は揺れる気持ちを掲示板で真っ正直に打ち明ける。
 電車男「俺、実はエルメスさんと付き合いたいとか そういうところまではまだ考えてなかったりします 『この機を逃したら一生チャンス無いかも』とも思うのも正直なところですが でも、気持ちは確実に惹かれています 会ったら絶対好きになってしまうよ…… もちろん彼氏もいるかもしれないし それだと好きになったら辛い思いするかもしれないし なんか苦しいよ」
 住人たち「電車男、かっこいいぞ。もうもてない男じゃない。素のままで充分だよ。無理せず背伸びせず、エルメスさんと楽しい時間を過ごしてきてくれ。彼女と会えたことは自分が変われるきっかけをもらえたことだと思えば 結果云々より電車男にとっては意味のある出会いだったんだと思う。もう二度とここには帰ってくるんじゃないぞ。グッドラックだ」
 そして電車男は、勇気を出して最初のデートへと向かう――。

 ここまでに紹介したのは、長大な電車男とエルメスのラブストーリーのわずか5分の1程度でしかない。エルメスと再会した電車男の初デートが果たしてうまくいったのかどうか、そしてその後も2ちゃんねるの住人たちから声援とアドバイスを受けつつ、電車男がどのようにしてその恋を実らせていったのかどうかは、実際の物語を読んで楽しんでいただきたい。電車男と住人たちの書き込みは、日々膨大な書き込みが行われては消えていく2ちゃんねる上からは、すでに消滅してしまっている。だがボランティアで電車男の物語を保存している人がおり、インターネットのホームページですべてを読むことができるのである。
 「便所の落書き」などと呼ばれ、世間からは白い目で見られている匿名掲示板の「2ちゃんねる」だが、電車男の書き込みでは「世界の中心で、愛を叫ぶ」や「冬のソナタ」に匹敵する美しい物語が展開されている。
 電車男の物語が編まれたのは今年3月から5月にかけてで、当初は巨大な掲示板群である「2ちゃんねる」の片隅で、ひそかに語り継がれているだけだった。ところがこの物語はその後、最近流行している「ブログ」と呼ばれるホームページを通じて爆発的に広まることになる。ブログというのは、誰でも簡単に作ることができるインターネット上の日記のことだ。
 震源地はいくつかあるが、そのひとつは竹中平蔵金融・経済財政担当相の盟友として知られる金融コンサルタントの木村剛氏が書いているブログとみられている。今年6月8日付のブログに、木村氏はこう書いている。
 「『くりおね あくえりあむ』さん、電車男の話、教えていただいて有難うございました。感動しました。ただ、はまり込んで、アポの時間にもう少しで遅れてしまいそうでした。やっぱり人間って、ポジティブなコミュニケーションを求めているんですね」
 「くりおね……」というのは、別の人が書いているブログのタイトルである。電車男はブログからブログへと紹介され、広まっていったのだ。
 それにしても、2ちゃんねるでなぜこのような純愛物語が生まれたのだろうか。
 「NDO:Weblog」というブログで電車男物語を紹介したインターネット企業勤務の男性(26)は、
 「2ちゃんねるが荒れ果てた場所だというのはマスコミの作り上げた誤ったイメージで、実際にはユーザーたちの憩いの場でもあり、匿名ではあってもちゃんとした『会話』が成り立っています。そんな中で、あの物語が暖かく見守られたのはとくだん特異なことではなかったとと思います」
 と話す。電車男のおもしろさの理由については、
 「電車男は、2ちゃんねる上で誰ともわからない人間が集まって、意図せずして作り上げたひとつの物語で、『そんなことが成り立つんだ、凄い』という点がよく話題にされていますし、そこがおもしろいのでしょう」
 と指摘するのである。
 この物語は、実は誰かが作り上げたフィクションなのではないかという意見もある。だが「日常/非日常」というブログで電車男のことを取り上げている30歳代の男性会社員は、
 「僕は間違いなくノンフィクションだと思います。約二か月もの間、そう簡単に人をだましきれるものではないでしょう」
 と話す。そして、
 「電車男のように奇跡を起こした人のことを、2ちゃんねるの中ではよく『神』と
呼ばれています。つまり「電車男」ストーリーは神の話、すなわち神話なのではないかと思います」
 と言うのだ。電車男という奇跡のような純愛物語は、インターネットのアングラ社会が生んだ新たな神話なのだろうか?
 それが何の意味を持つにせよ、まずはその驚くべき物語を読んでいただきたい。インターネットの匿名掲示板も、決して捨てたものではないというのがわかっていただけるのではないだろうか。
(ジャーナリスト・佐々木俊尚)


電車男ホームページ
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Aquarius/7075/trainman.html

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