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April 07, 2004

ITゼネコンとは何か(PC Explorer 2004年4月)

 国税庁に「KSK」というシステムがある。「国税総合管理システム」の略称だ。国税庁のホームページを見ると、こうある。
 「税務行政の高度化・効率化を図り、適正・公平な課税の実現を目指すため、地域や税目を超えて情報を一元的に管理するコンピュータシステムであるKSKシステムの導入を平成7年以来進めてきました」
 この説明だけを読めば、普通の人は「政府のIT施策の一環として、税務情報をまとめて管理するシステムを作ったんだろう」と思うに違いない。しかしこのKSKをめぐっては、実は過去にたいへんな“騒動”が起きているのである。
 KSKの構想が作られたのは、はるか昔の1980年代である。89年に計画がスタートし、システム契約が行われた。指名競争入札ではなく、随意契約のかたちでジョイントベンチャーに発注され、日本を代表する大手IT企業6社が参加した。
 ところがこのシステムは完成するまでに、何と12年を要した。全国297の税務署で運用が行われるようになったのは、2001年11月になってのことだったのである。この時間がいかに長かったかをもう少し語ってみよう。
 89年はPC DOS/Vが登場する前の年であり、多くの人はNECのPC-9800シリーズか、そうでなければエプソンの互換機でMS-DOS 3.1などを使っていたはずだ。89年はインテルの80486プロセッサが発売された年でもある。ワープロソフトはまだ一太郎の全盛期で、89年には一太郎 ver.4が発売されている。おっと忘れてはいけない。この年はあの名機、世界で初めてのA4ファイルサイズノートブックPCである東芝のDynaBook J-3100SSが発売された年でもある。スペックは80C86/10MHz、1.5MBのRAMを積んでいた。IBM PC互換機ながら、独自の日本語機能を搭載し、640×400ドット2階調の青い液晶画面が印象的だった。19万8000円という当時としては破格の金額に驚喜した人も多かった。
 少し話が横道にずれたが、国税庁のKSKはそんな時代に開発が始められたのである。
 そして開発が完了し、運用が始まったのは2001年。つい最近のことだ。この時期ならご記憶の人も多いだろう。詳細には書かないが、ひとことで言えばWindows XPの発売された年である。
 12年の年月というのは、気の遠くなるような時間ではないか。ドッグイヤーと言われるコンピュータの世界で、それがどれだけ長い歳月であるかは、PC Explorerの読者ならわかっていただけるであろう。
 この間、開発のために投入されたカネは1000億円以上。周辺コストも含めれば、3000~4000億円に達していたのではないかという試算もある。まさに湯水のように税金を投じて作られたシステムだったのだ。
 この問題には当時、IT業界内部からも批判が相次ぎ、経済同友会の若手メンバーが中心になって告発。1996年には朝日新聞の記事にもなっている。当時の朝日の記事にはこうある。
 「コンピューターをフルに利用したKSKと呼ばれる新徴税システムは、開発当初の予定では、1996年度には全国の税務署を結ぶネットワークが完成するはずだった。しかし実際は、ごく一部の税務署で試験的に使われていただけ。国税庁内に計画の完成を危ぶむ声が出始めていた」
 なぜこんなことが起きたのだろうか。朝日記事には、こう書いてある。
 「コンピューター、端末機、読み取り機などの開発は大手IT企業6社が受け持ち、B社に納入する。システム開発の実績もない文具・事務機器販売会社が、大手メーカーを『下請け』に使う。B社が国税庁の発注を、メーカー各社に回す『丸投げ』に近い構図だ。『受注・開発体制の不可解さ』は、関係者の間で、以前から指摘されていた。『システム開発の遅れはそれが原因』ともいう」
 つまりB社が、SIの役まわりとなってとりまとめを行ったということなのだろう。
 そして実はこのB社というのは、銀座の松屋通りに瀟洒な店を構える老舗の文房具店なのである。戦前から官公庁に文具や事務機器を納入してきたのだという。老舗で官公庁には強いものの、もちろんシステム開発・運用の実績はほとんどない。
 なぜB社が受注できたのだろうか。
 当時の記事や取材にあたった新聞記者の話によると、一説には某外資系メーカーをジョイントベンチャーに入れるため、そのためのダミーとしてB社に白羽の矢が立てられたというのである。つまり外資系に直接発注することには反対が大きく、間にB社を入れることで事実上外資系メーカーに参入を許すかたちにしたということらしい。
 背景に、当時問題になっていた日米経済摩擦があったという指摘もある。ひょっとしたら政治家の暗躍もあったのかも知れないが、今となっては遠い過去の霧の中へと真実は消えつつある。
 そしてB社がSIとなった形で開発は進められたが、案の定というべきか、プロジェクトは御者のいない暴走馬車さながらの状態に陥った。国税庁の各部署が出してくる要求を、総合的な調整も行わないままジョイントベンチャーの6社各社がどんどん無計画にシステムに盛り込んでいったのである。プログラムは肥大し、当初の予定の5倍以上の大きさとなった。当然のようにコストは等比級数的に増え、開発にかかる日数も増えていく。その結果、12年の歳月と1000億円以上のコストというため息のでるような結果となってしまったのだ。SIが機能していないシステム開発は、こんなことになってしまうのか――という悪しき好例といえるだろう。
 そしてこのKSKは過去の話だが、実はこうしたケースは今も頻発している。それがここ数年、あちこちで指摘されている「ITゼネコン」問題だ。
 ITゼネコンというのは、政府のe-Japan戦略などによって公共事業の中心がIT分野にシフトしつつあるのに伴い、大手IT企業がゼネコン化しつつあるという実態を示す言葉である。
 ゼネコンというのはゼネラルコントラクターの略語。直訳すれば、総合請負会社だ。通常は「総合建設会社」と訳しており、大手建設企業のことを指している。高度経済成長からバブル期にいたるまでの間、多くのゼネコンはダム建設や道路建設、ビル建設などの公共事業を国や都道府県、市町村から受注し、それを下請業者に丸投げすることで利益を得ていた。濡れ手に粟の丸儲けシステムである。利権の温床にもなり、1993年には故・金丸信自民党副総裁の不正蓄財事件(金庫に金塊を隠していたのがばれて大騒ぎになった事件だ)をきっかけに、大手ゼネコンと政治家の癒着が暴かれ、政治家やゼネコンの役員らが大量に逮捕された。いわゆる「ゼネコン事件」である。
 しかし日本はその後、史上空前の不況に突入し、土木工事や建設工事などの公共事業も少なくなってゼネコン自体が衰退に向かいはじめる。バブル時代にはゼネコンというと「銀座のクラブで豪遊していた」「政治家の接待でゴルフ場を貸し切った」「毎日遠距離タクシー帰宅」などの景気のいい話をたくさん聞いたものだが、今では見る影もない。
 そして建設ゼネコンの衰退にあわせるかのように台頭してきたのが、ITゼネコンなのである。政府がe-Japan戦略などでIT関連投資を行うようになり、不況と財政悪化で予算がきびしく締め付けられているのにもかかわらず、「最先端のIT国家を作る」というお題目のもとに莫大なカネがIT関連の公共事業に投じられつつある。
 そんなところに、2000年ごろからのIT不況や通信不況で息も絶え絶えだった大手IT企業がいっせいに飛びついた――というのが今のITゼネコン問題の構造になっている。
 ゼネコン化を後押ししてしまっている要因はたくさんある。政府や自治体の基幹システムには今でもレガシーなメーンフレームが使われており、外資系メーカーや新興メーカーの参入を阻んで大手IT企業の寡占を許してしまっていること。日本は世界でも数少ない「メーンフレーム大国」になっている、という指摘も少なくない。
 あるいは 、自治体などにITに詳しい人材が少なく、新しいシステムを導入しようとすると、大手IT企業に丸投げするしかないという問題もある。中には官公庁や自治体のIT担当部局に、大手IT企業の社員を「天上がり」させているケースまであるというから驚かされる。
 ちなみにアメリカでは、民間から人材をヘッドハントするのが一般的で、役所のIT部局には元システムエンジニア、元IT企業役員などがゴロゴロしている。そうした人材がシステム開発の際に一括窓口となるから、日本のような丸投げ構造にはなりにくい。
 そしてまた、入札の問題もある。KSKのように随意契約で発注するのは論外だと思うが、指名競争入札になっていても「総合評価落札方式」という方法を採っているため、1円入札などを許してしまう。この方式は、技術力などの評価点を入札金額で割って数値を出すというものだ。いくら技術力が高くても、入札金額を1円にすれば数値は限りなく高くなってしまう。とりあえず1円で入札して赤字覚悟で開発し、儲けは翌年からの「運用」で稼ごうという手法が横行しているのである。ちなみに翌年からの運用は、たいていの場合随意契約になっている。
 政府や自治体はこうした状況を打破しようとさまざまな努力を続けているが、いったん構造化した問題はなかなか解消しない。今はまだ「e-Japanバブル」の真っ最中で、どこのIT企業も政府や自治体からカネを稼ぐのに精一杯。そうした時期にはあまり問題は発生しない。
 たぶん問題が出てくるのは、このプチバブルが終了したときだ。カネの分配や利権をめぐってさまざまな抗争が生まれ、そして多くの事件が起きてくるだろう。かつて、90年代のはじめにバブル崩壊とともにさまざまな金融事件が勃発したように。
 穏やかだったIT業界が事件の汚泥に引きずり込まれる日は、まもなくやってくる。

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