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March 07, 2004

ヤフーBB事件に見るプライバシーの値段(PC Explorer 2004年3月)

 Yahoo!BBの加入者情報漏洩事件が「史上最悪」というレッテルを張られ、大騒ぎとなっている。確かに451万人という数は尋常ではない。タイミングよく消費者金融の三洋信販や通販のジャパネットたかたの個人情報漏洩事故が報道されたこともあり、マスコミの「祭り」はこれまでにないほどの盛り上がりを見せている。
 全国紙社会部記者が語る。
「取材班が結成され、デスクから『ほかにも情報漏洩があるはずだ。なんとしても探し出せ』と命令されています。名簿業者や総会屋なんかに総当たり取材をかけて、流出名簿を探している最中です」
 その成果というべきか、Yahoo!BB事件のあおりをしっかり食ってしまったのが、ジャパネットたかただろう。Yahoo!BB事件が発覚した2週間後、毎日新聞がスクープした同社の漏洩事故は、なんと1998年ごろの話という。毎日の記事の中で、同社の高田明社長はこう話している。
 「リストが流出したとみられる6年ほど前はラジオからテレビショッピングに移行しつつあった時期で、システム変更を迫られていた。甘さがあったのかもしれない」
 98年といえば、まだインターネットバブルが盛り上がる以前である。ネットビジネスがようやく立ち上がりつつあった時期で、個人情報保護を気にかけている企業などほとんどなかったといっていい。こんな昔の話を持ち出されても……という思いで毎日の記事を読んだ人はネット業界には少なくないはずだ。
 だがYahoo!BB以外のネタに飢えていたマスコミは、この毎日のスクープに飛びついた。テレビ、新聞各社はこの報道を後追いし、結果的にジャパネットたかたはテレビやネット上での通販を自粛するという苦渋の決断に至ることになるのである。営業をストップしたことによる損害は数十億円に上るとみられ、たいへんな事態となってしまった。
 一方のYahoo!BBも事件発覚後、孫正義・ソフトバンク社長が記者会見で「おわびとして全会員に500円の金券を配る」という方針を明らかにした。かかるコストは総額で40億円に上るという。この金額は昨年、ローソンの顧客名簿が流出した際、同社がお詫びとして顧客に配った商品券の金額をお手本にしたとされる。
 今回流出した個人情報は、①住所②氏名③電話番弓④メールアドレス⑤Yahoo!ID⑥申込日。ちなみにプライバシー業界では①住所②氏名③生年月日④性別の4つを「基本4情報」と呼んでいる。これに趣味や職業、嗜好、体型といった「属性情報」が加わると、個人データの価値は一気に跳ね上がると言われている。ダイレクトメールなどのターゲットを絞りやすくなるからだ。今回Yahoo!BBから流出した個人データの属性は、メールアドレスや申込日などで、あまり重要な意味を持たない。意味があるとすれば「Yahoo!BBの会員であること」という属性情報だが、これも大きな価値はない。
 となると、この500円というのは基本4情報に支払われた価格というべきだろう。これは適正なのだろうか?
 500円というのは、別に法律や判例で決められているわけではない。過去には、金額がひとり1万円と算定されたこともある。しかも、権威ある裁判所から認定されているのだ。
 以前、京都府宇治市で住民基本台帳のデータがアルバイトに盗まれ、名簿業者に売りつけられてしまうという事件があった。この事件が発覚してから宇治市民3人が、市を相手取って損害賠償を求める裁判を起こした。法廷ではかなり争われたが、最終的には1人あたり慰謝料1万円+弁護士費用5000円を市が支払うという判決が確定している。
 同じような裁判では、早稲田大学で中国国家主席だった江沢民氏の講演会が開かれた際、大学側が参加者の名簿を警視庁公安部に渡してしまったという事件もある。「意図的な個人情報の漏洩だ」と参加者の学生が大学を提訴し、このときもやはり慰謝料1人1万円という判決が出ている。
 もし仮に、ソフトバンクが加入者全員に1万円ずつ払わなければならなくなったら、どうなるだろう。流出した451万7039人×1万5000円=677億5558万5000円と、天文学的な数字になる。ソフトバンクは事件の渦中にあった3月初旬、米シティバンクからヤフーBBの事業資金として11億3500万ドル(約1241億円)もの巨費を借り入れているが、この半分が吹っ飛んでしまう計算だ。
 損害は、これだけではすまない。事後の対応を誤れば、信用を失墜し、シェアを失ったり、株価が下落してしまう可能性もある。そうなれば、賠償金の数倍の損害が発生してくる可能性がある。
 実際、ある弁護士は次のように話している。
 「試算によれば、1件のセキュリティ事故で慰謝料などの支払いに必要な額は平均約3億円。しかしこれは『直接損害』と呼ばれる金額だけで、これ以外に株価や市場シェアなどの『間接損害』は平均27億円にもなるとされている。計30億円の総損害のうち、表に出ない間接損害が90%を占める計算になる」
 もっとも今回のYahoo!BBに関していえば、同社の対応はきわめて素早かった。恐喝を受けるのとほぼ同時に警視庁に被害届を出し、発表後も記者会見を長時間にわたって開き、500円の金券配布をはじめとする対応を矢継ぎ早に打ち出している。こうしたことが功を奏したのだろう。株価は発覚当日、前日終値比300円安の3890円にまで売られたものの、その後は持ち直した。3月中旬現在で4500円前後と、事件前の水準にまで戻している。

 一方、こうした名簿を買う側は、基本4情報にどの程度の値段を付けるのだろうか。ある名簿業者は「Yahoo!BBなら、10万人で30~50万円前後」と話す。これは名簿業界ではかなり安いという。先に書いたように、価値のある属性情報がないからだろう。
 「いちばん価値のあるのは、やはりサラ金の顧客名簿。カネをほしがっている人たちであるというのが明らかだから」という。
 実際、福岡市に本社のある三洋信販の顧客データが流出した事件では、名簿が裏業界に回ったことが明るみに出ている。
 同社は「ポケットバンク」で知られる消費者金融大手で、過去に取引があった顧客計200万人分のデータを持っていた。ところが今年1月5日、外部からの情報提供などで流出が発覚。32万人分の顧客データが漏洩したとみられている。一部は貸し付け残高などの属性情報も含まれていたと見られており、基本4情報だけの流出と比べると事態はかなり申告だ。おまけにこの顧客名簿は「消費者金融を使ったことがある」という重要な属性が含まれている。
 名簿はたぶん、かなりの高価格で売買されたのだろう。名簿に載っていた人のところに架空請求の電話がかかってきたり、はがきが送りつけられてくるようになったのだ。請求の内容は「債権を譲り受けたので、支払ってほしい」といったもので、三洋信販に寄せられた相談の中には、実際に支払ってしまったという顧客も92人いた。被害総額は3200万円に上っているという。
 電話では「三洋信販の件では迷惑をかけた」「情報が漏洩したので、一括返済できるお手伝いをしたい」など、三洋信販の名前を使ってるケースも少なくない。流出した名簿を使って電話をかけてきているのは明らかだろう。
 もし顧客が裁判を起こし、架空請求との因果関係が立証される事態ともなれば、損害賠償額は1万円どころではすまないだろう。
 さらに問題は、今回のYahoo!BB事件をきっかけに、闇の勢力が「流出名簿は格好の恐喝ネタになる」ということに気づいたことだ。名簿が流出していたことが発覚すれば、企業に与えるインパクトは計り知れない。そこに犯罪者のつけいるスキができる。
 毎日新聞がジャパネットたかたの古い漏洩事故を報道したように、掘り返せば流出名簿などどこにでも転がっている。こうした材料をマスコミがつつき、闇の勢力がネタとして悪用し……という事態は今後ますます増えていくことになるかも知れない。

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ヤフーBB顧客名簿流出事件(iNTERNET magazine 2004年3月)

 ソフトバンクグループが運営するADSLサービス「Yahoo!BB」の加入者情報が漏洩し、たいへんな騒ぎとなっている。451万7039人分という漏洩数は、一社からの流出数として国内史上最悪だ。
 今回発覚した漏洩は、2つのルートがある。第1のルートは、元右翼団体代表(67歳)が昨年暮れ、DVDに収められた加入者名簿を何らかの手段で入手。これがYahoo!BBの二次代理店社長(55歳)の紹介で、同社副社長(61歳)にわたった。副社長は今年1月、ソフトバンク側と接触。1月下旬にソフトバンク本社を訪問し、加入者名簿の入ったDVDとCDメディア計2枚を手渡した。この際、「海外で合弁会社を設立するので20~30億円出資してほしい」ともちかけたほか、加入者情報がこれ以上流出しないための顧問料として月々数百万円を要求していた。だがソフトバンク側はこれを断り、警視庁に相談。元右翼団体代表と代理店社長、副社長の計3人が恐喝容疑で逮捕される結果となった。
 一方、第2のルートはYahoo!BBのカスタマーサポートセンターで働いていた元スタッフ(31歳)の単独犯行であることが明らかになっている。元スタッフは2002年6月から昨年6月までの1年間、派遣会社社員としてサポートセンターで勤務。この際、データベースから顧客情報を引き出したうえで、サポートセンターのPCに外付フロッピーディスクドライブを接続し、フロッピー数十枚に数十万人分の顧客情報を保存して自宅に持ち帰っていた。元スタッフは1月中旬に104人分の顧客名簿をソフトバンクにメールで送信。「100万人分の情報を持っている」と約1000万円での買い取りを要求し、恐喝容疑で逮捕された。
 第1ルートで逮捕された3人は「電子メールを読み書きするのがやっとという程度のコンピュータ知識しかない」(全国紙記者)といい、元右翼団体代表らが直接データベースを操作した可能性は限りなく低い。このため、ソフトバンクグループの関係者が何らかの形で漏洩に関与したのでないかと見られており、警察の捜査もその方向に集中しているようだ。だが直接の漏洩先を知る唯一の人物である元右翼団体代表は、警察の取り調べにも頑強に口を割らず、捜査はかなり難航しているという。
 後者のルートは、流出経路がほぼ解明されている。事件発覚後、ソフトバンクは当初は「顧客データベースにアクセスできるのは135人しかいない」と説明していたが、その後の調査で、サポートセンターに関係する要員数千人が自由に顧客名簿にアクセスできるようになっていたことが発覚した。逮捕された元スタッフもこうした要員のひとりだったのである。
 「サポートセンターのスタッフは直接データベースにはアクセスできないが、契約者の住所や申込日などを入力・検索すれば、データに合致する人の情報をすべて表示できるシステムになっていた」(取材に当たっている放送記者)という。顧客データベースが構築された際、個人情報保護は念頭に置かれていなかったのではないか。ある種の仕様ミスといえるだろう。
 Yahoo!BBに限らず、大手企業の顧客名簿が漏洩する事件が続発している。ほとんどが内部犯行とみられ、一部は架空請求詐欺グループや迷惑メール業者などにも渡っているとみられ、被害が拡大する可能性もある。今後、こうしたケースがますます増えていくのは間違いないだろう。

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イーバンク騒動に見る実りのない泥仕合(iNTERNET magazine 2004年3月)

 実りのない泥仕合というべきか、それともエスタブリッシュメントとニューエコノミーの“文明の衝突”というべきか――。ネット専業銀行であるイーバンクと、同社の筆頭株主であるネットベンチャーのライブドア(旧社名・エッジ)が年明けから、何とも壮絶なケンカを繰り広げた。しかもオフィシャルサイト上で脅迫電話まがいの音声ファイルを暴露したり、記者会見を開いて相手を罵倒したりと、前代未聞の「公開ケンカ」ともいうべき展開になったのである。そのオープンさは、「さすがネット企業!」と誉めるべきなのか。
 「あ、もしもし、松尾です。あんまり遊んでると、おまえの会社ぶっ潰しちゃうよ。おれは本気になるぞ、お前。それじゃな」
 ケンカがピークに達した2月10日、ライブドアはこんな発言を収めた音声ファイルを自社のサイト上で公開した。同社の主張によれば、この脅迫的な言葉を吐いているのは、イーバンクの松尾泰一社長だという。だが松尾社長側は「しかるべき機関に鑑定を依頼しており、音声ファイルが偽造であるのは間違いない」と一蹴している。
 ライブドアは以前からイーバンクに出資し、3500株を取得していた。昨年2月にはイーバンク銀行ライブドア・ブランチ(支店)も開設され、両社の関係は深まりつつあった。ネット財閥を目指すライブドア側は金融業務への足がかりが喉から手が出るほどほしく、金融機関として自己資本比率を高めなければならないイーバンク側は、大口出資してくれる企業を求めていた。両社の思惑が一致したということなのだろう。昨年10月には、ライブドアが計35億円をイーバンクに出資し、持ち分14.9%の筆頭株主となるという契約書を取り交わしたのである。
 ここまではスムーズに話は進んだ。こじれ始めたのは、その後だ。
 最大の原因は、リストラを含むイーバンクの経営改善策に関する両社の考え方が違っていたということだ。出資したライブドア側は、筆頭株主としてイーバンクの経営改善に積極的に介入する心づもりでいた。そして10月の出資契約以降、ライブドアの宮内亮治取締役ら11人のスタッフがイーバンクに派遣され、融資案件の見直しや社内のコストカットを進めようとしたのである。
 ところがこれに対し、イーバンク社内からはたいへんな抵抗が起きた。何しろライブドアは名うてのM&A(合併・買収)企業であり、買収先に対する苛烈なリストラでも有名だ。イーバンク側は「ライブドアのスタッフは、まるで進駐軍気取りでイーバンクに乗り込んできた」と反発し、12月末にいたり、同社営業本部長に就任していた宮内取締役らを解任し、オフィスから閉め出すという事態へと発展するのである。
 しかし宮内取締役は、イーバンク側の対応に憤然とする。「投資の話が持ち込まれた際、松尾社長は今後、40%にまで持ち株比率を引き上げることに加え、ライブドア側が合理化を進めるという約束を口頭で行っていた。『合理化をしたいが、社内ではできなかった。うちにきてやってくれないか』と話していた」というのだ。
 この結果、両社の関係はどんどんこじれて行き、年が明けた2月9日にイーバンクが一方的に提携解消を発表。そしてその翌日、ライブドアが記事冒頭に紹介した脅迫電話を公開するに至るのである。
 ライブドア側は近く、イーバンクに対して民事提訴に踏み切る予定といい、ケンカはすぐには決着しそうにない。

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事件簿「本当に悪いのは誰? グーグル八分の顛末」(iNTERNET magazine 2004年3月)

 W社は、訪問販売によってウエディングドレスや宝飾品を販売している企業である。1992年に創業され、社員数は約200人。年商は90億円近くに上る。
 この企業への批判が突如として巻き起こったのは2002年6月。「匿名掲示板(仮)」(以下、掲示板仮)という名称の掲示板上で、匿名の書き込みが行われたのがきっかけだった。掲示板仮は2ちゃんねる同様、マルチスレッド・フロート型の掲示板である。
 最初の書き込みはこうだ。
 「(W社から)この前電話かかってきました。ずーっと電話での話しが続いて耐え切れなくなり『何時に○○に来て下さい』って言われて『行く』といってしまったけど、これってやっぱり行かないとヤバイことになるかな……」
 この書き込みに対して最初は反応は少なかったものの、同年暮れになってから「悪徳商法ではないか」「かなり怪しい勧誘をしている」といった書き込みが盛んに行われるようになる。さまざまな証言や告発もあれば、煽りと見られるような根拠のない書き込みも少なくなかった。一方で、こうした批判を封じ込めるためとも見られる「荒らし」行為も行われた。そして数多くのスレッドが立ち上がり、大きな盛り上がりを見せるようになったのである。
 この動きに対し、W社の側も敏感に反応した。同社の会長室長が語る。
 「スレッドが激しい盛り上がりを見せ始めた2003年1月ごろから、社員の中にも掲示板仮を見て動揺する者が現れはじめた。顧客からの問い合わせやキャンセルも増え出した」
 同社は2003年8月、掲示板仮のサーバを管理しているホスティング業者A社に対し、「掲示板仮の連絡先を教えてほしい」と要請する。A社は通信の秘密を理由にこれを断った。このためW社は今度はA社を通じ、掲示板仮に対して書き込みの削除を求めたのである。W社代理人の弁護氏名で書かれた通知書は、こう書かれている。
 「(前略)当社が悪徳商法を行っているかのごとき事実を記載し、虚偽の風説を流布して当社の信用を毀損するとともに、当社の名誉を毀損する情報を掲載している」
 この通知書に対し、掲示板仮の管理人は、「悪徳商法?マニアック」(以下、悪マニ)の掲示板に、「W社より削除依頼が来ました」と書き込んだ。悪マニは悪徳商法に関する情報の集積地であり、悪徳商法対策の中心的存在として知られるサイトである。管理人はbeyond氏といい、ボランティアベースでこの有名なサイトを運営している。
 W社はついで掲示板仮の管理人にも直接、メールで削除依頼を送付している。管理人は依頼を断ったうえで、「議論の中で真実を明らかにしたい。そのための情報として、①クレジット契約書②売買契約書③アンケート用紙を提供してほしい」と返信した。
 だがW社にとっては、こうした要請は受け入れがたかったようだ。会長室長が続ける。
 「匿名者が発言を行っているような場所に、社内の資料を出すことはできないと思った。裁判など、公平で権威のある場所での調停ならともかく、第三者が匿名で、しかも誹謗中傷が行われているような場所で『わが社が悪徳かどうか』を判断するというのが、正しいとは思えなかった」
 このころから、議論の場は掲示板仮から悪マニ上へと徐々に移っていくことになる。悪マニ管理人のbeyond氏は話す。
 「本人に直接連絡せず、最初はホスティングプロバイダなどまわりから攻めていくというのは、ある意味卑怯なやり方だと思った。そもそも90億円近くも売り上げがある企業が、公開の議論を嫌がるというのがまずおかしいのではないか」
 悪マニでの盛り上がりが沸騰しつつあった2003年11月、先の会長室長は実名でbeyond氏にあてて、次のようなメールを送っている。
「私はお客様相談の責任者として、弊社の仕事のありかたについて検証する立場にあることなどから、貴サイトは消費者保護の立場に立つきわめて公正なホームページとして、高い評価があることは存じております」
 こう書いたうえで、悪マニ掲示板の一部書き込みの削除を求めたのである。これに対してbeyond氏は、次のように返信し、W社からのメールの内容を掲示板で公開した。
 「削除要請に関する疑問・質問などは、会議室にてお願いいたします。(中略)議論を通じて真実を明らかにしていく所存ですので、上記条件を守っていただければ、裁判によらない任意の話し合いに応じます。ただし、いきなり『削除なき場合、法的措置を行います』などの『脅し文句』がある場合は、この限りではありません」
 W社側は、再びメールを送付した。
 「これが貴殿の公式見解とされるなら、弊社は顧問弁護士と相談のうえ、しかるべき対応をすることといたしました。法的措置を『脅し文句』とする意味は理解しかねますが、今後の貴殿の運営サイトでの、弊社に対する誹謗中傷の状況により、威力業務妨害などの刑事告訴や損害賠償請求は当然、視野に入れて対応したいと考えます」
 これが2003年11月末のことである。
 会長室長は一連の経緯について、次のように話す。「何をお願いしても、すべて掲示板で公開されてしまう。しかも私のメールの一部だけを抜き出し、『圧力をかけてきた』と非難する。どう対応していいのか途方に暮れた」
 これに対して、beyond氏は「匿名の人を相手に商売し、そしてインターネットの世界でも仕事をしているのだから、それを相手にできないというのは矛盾しているのではないか。掲示板で話し合うというのがインターネットのルールではないだろうか」と指摘する。
 この前後からW社側は相次いで法的な措置を取るようになり、先立つ9月にはA社を相手取って掲示板仮の氏名開示請求を東京地裁に起こし、そしてこの請求には11月、東京地裁が「開示すべき」という見解を出す。氏名はA社から開示され、翌2004年1月にW社は掲示板仮の管理人を名誉毀損で京都府警に刑事告訴し、受理されるのである。さらに2月には、この管理人に対して6000万円の損害賠償請求も起こしている。京都府警は捜査に着手しており、本稿の締め切り直前である3月10日、掲示板仮の管理人宅に対する家宅捜索を行っている。
 話を戻そう。
 問題のGoogleへの要請は、W社が相次いで法的措置を取り始めた時期に行われた。2003年12月下旬に、W社はGoogleのウエブサイトからメールフォームを使い、「悪マニのW社に関するトピックスを、Googleの検索結果から削除してほしい」と依頼したのである。
 この時期、Googleで「株式会社W」と検索すると、トップページの大半は悪マニをはじめとする掲示板が占め、W社ウエブサイトのURLはランキング下位に位置するという状況になっていた。
 会長室長が経緯を説明する。
 「こんな状況では、とてもじゃないが広報活動はできない。わが社のSEなどのアドバイスから、Googleに対して検索結果からの削除をお願いすればいいのではないかという話になった」
 W社の説明によると、依頼に対して当初、Google日本法人から「所定の申請書に記入して送り返してほしい」とメールで返信があった。フォームに対象の検索言語▽対象の検索キーワード▽誹謗中傷にあたると思われる箇所▽その詳しい具体的内容▽氏名・住所・メールアドレス――などを書き込み、送り返したという。しばらくして日本法人と見られる担当者から返信があり、「日本法人では判定できないため、米国の本社に改めて申請書を送ってほしい」と書かれていた。このため所定の用紙に同じ内容を書き込み、W社側の担当者である広報部長が個人印を押したうえで、Google本社に対してファクスで送信したという。削除依頼を出したのは、悪マニをはじめ約10のウエブページだったという。
 広報部長が証言する。
 「これに対して、返事はなかった。約2週間後、こちらから『悪マニの削除はどうなっているのか』とメールで問い合わせたところ、初めて返答があった。『米国本社で日本の法律を検討した結果、誹謗中傷と名誉毀損に該当すると判断した』と書かれていた。田上部ページへの削除依頼については、こちらから問い合わせをしなかったためもあるだろうが、いっさい連絡は受けていない。削除されたページもあれば、削除されなかったのもある」
 一方、悪マニ側は、W社がこのような要請を出していることはまったく知らなかった。beyond氏が話す。
「12月27日ごろ、突然Googleの検索結果に悪マニが表示されなくなってしまった。月末だったので、最初はGoogle Danceかと思った」
 Google Danceというのは、Googleのインデックス更新時にサーバ群の整合性に時間差が生じ、検索のたびに結果ランキングが変化してしまう現象のことである。beyond氏はGoogleのサポート窓口であるjapanese@google.comに問い合わせのメールを送った。このメールアドレスは、米国本社の日本語サポート担当者に直接送られるようになっており、日本法人にはccもされていない。
 Googleからの返事は「Googleの社内から検索してみたところ、悪マニは検索結果に表示されている。何かの間違いではないか」というものだった。この後、「やはり見えない」「検索オプションはどうなっている?」といったやりとりが数往復、行われた。だが約1週間後、今度はGoogleの別の担当者らしき人物からメールが届き、初めて真相が明らかになる。そのメールには、次のように書いてあった。
 「弊社ではGoogleインデックスに表示されるドメインが、登録されている国の法律に従っていることを確認するよう努めています。弊社では、法律で公認されているコンテンツを削除することおよび情報アクセスの制限を行っておりません。しかしながら、特定のページのコンテンツが日本の法律に違反していると判断された場合、そのページをGoogle.co.jpから削除することがあります。この場合、クレームを頂いたユーザーから詳細情報を記載した署名入り文書を弊社法律部に提出していただく必要があります」
 「このたびご指摘になったページは、日本の法律上、名誉毀損罪(刑法230条)及び営業妨害罪(刑法233条)に該当すると判断され、Google.co.jp及び弊社パートナーサイトから削除させていただきました。何とぞご了承いただきますようお願いいたします」
 しかも削除されたページは、W社関連のトピックだけではなく、悪マニのサイト全体が対象となっていた。
 beyond氏は驚いた。このままではユーザーが悪マニにたどり着くことができなくなってしまうからだ。「訪問販売などで高額商品を買ってしまった人などが、会社名を検索して悪マニにたどり着き、その会社の実態や対策方法を知るというケースは少なくない」(beyond氏)といい、Googleは悪マニへのトラフィックの大きな部分を占めている。
 だがbeyond氏の対応も早かった。悪マニ上で、次のような文章を掲げたのだ。
 「Googleと言う権力を悪用する何者かにより、Googleひいてはインターネットから追い出されてしまいました。このことは、悪徳商法に関する情報を共有することを至上命題としている当サイトとしては、黙認できる状況ではありません。かといって、すでにGoogleに死刑宣告を受けた身でできることは限られています。そこで、サポーターを募集したいと思います」
 悪マニや、悪マニ内に作っていた「W社の情報を募集しています」というページへのリンクを広範囲に呼びかけたのである。同時に、beyond氏は再度Googleに対して質問状を送った。①検索できなくなったページが再び検索できるようになる可能性はあるのか②もし可能性があるのなら、どのような手続きを行えばいいのか③どの部分が法律違反と判断されたのか④クレームをつけたユーザーの情報を教えてほしい――などを求めたのである。このメールは複数回、Google側に送信された。だがその後、Googleからの回答はない。
 3月11日現在、事態は進捗していない。掲示板仮に対するW社の民事提訴、ならびに京都府警による捜査は進展しつつあるが、Googleの検索結果から悪マニのURLは削除されたままになっている。

W社 会長室長

 私どもはインターネットのことにはそれほど詳しくなく、このような事態に陥ってほとほと困惑したというのが、正直な感想だ。
 昨年末から現在にかけ、顧問弁護士とも相談してさまざまな対策をとり、対応してきた。その一環としてGoogleへの依頼があったということだ。弊社のシステムを管理しているSEから「こういう実情をGoogleに訴えてみればどうか」と勧められ、われわれの置かれている状況をその通りにお話しした。削除していただいて、良かったと思っている。
 ただ私どもは悪マニに対しては争うつもりもないし、悪意も敵意もない。逆に悪徳商法の対策サイトとして、たいへん評価すべき存在だと受け止めている。それだけに、なぜわが社に対して悪意をもたれ、ここまで攻撃的な態度を取られるのかと困惑するばかりだ。

※掲示板仮や悪マニ上では、W社はすべて実名で書き込まれている。今回の取材に当たっても、W社に対しては実名で報道することを申し入れた。だがW社側から、①ネット掲示板上で悪質な書き込みが続いており、実名が掲載されるとさらに多くの中傷行為が行われる可能性がある②同社社員らに対する二次被害も起こりうる――などを理由に、匿名での掲載を条件にしたインタビューが要請された。今回の記事が「W社」となっているのは、こうした理由による。

悪徳商法?マニアックス管理人 beyond氏

 Googleという企業がここまで大きくなってきた以上、そうした要請に負けるというのはある程度は仕方ないのかも知れないが、もう少し「芯」を持っていただければと思う。
 Googleはこれまで「検索結果には手を加えない」と言ってきただけに、今回の削除はユーザーに対する欺瞞ではないか。
 仮にもしGoogleが「削除もあり得ます」と公にしたとすれば、少しは軽減されるかもしれないが……しかし、それでもすべてが許されるわけではないだろう。Googleは私企業とはいえ、通信会社やマスコミと同じように公共サービス、公企業に近い立場にいる会社ではないかと認識している。Googleは検索エンジン業界の中で、ほぼ独占に近い状態だ。自社がそういう企業であるという自覚をきちんと持ってほしいと思う。


Google日本法人 セールス&オペレーションディレクター 佐藤康夫氏

 サービスの運営に関しては米国本社の管轄になるため、日本法人の守備範囲外になっている。それを前提にお話しすることになるが、まず大前提としておきたいのは、Googleはあくまでユーザーにとって正しい検索結果を提供するのが最大の目的であるということ。このためSEOスパム行為のように、ユーザーに誤った検索結果を見せてしまうような行為は厳しく排除している。それと同様、ユーザーに悪い影響を与えたり、犯罪につながったり、あるいは法違反になるようなものについても削除する場合がある。削除については本来、その対象サイトの運営者と話し合っていただくのが第一義だが、それではらちがあかないということで今回は連絡をいただき、米国本社で日本人の法務担当が日本人弁護士と相談しながら削除を行った。基準に関してはあくまでケースバイケースということになると思う。
 ただ今回のケースについては、かなり微妙な問題もある。本社とも相談し、議論を続けていかなければならないと思っている。

 筆者は、Google日本法人の広報を通じて米国本社に取材を申し入れ、①どのような判断基準で削除を行っているのか②削除しているという事実をこれまで公にしていなかった理由③削除対象サイトや削除依頼者に対して、積極的な報告を行わなかった理由――など7項目の質問書を送った。だがこれに対し、Google日本法人広報担当の斉藤香氏は、次のようにコメントした。
 「取材依頼を含め、今回の件に関しては、Google内で法務を含めて話し合いが続いています。だが誠に残念ながら、現時点ではこれ以上のコメントを申し上げることは難しく感じております」

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March 06, 2004

インターネットはだれのもの?(Computer World 2004年3月)

 インターネットとはいったい、誰のものなのか?
 そんな根源的な問題をめぐり、いまインターネット世界では議論が沸騰している。直接の引き金となったのは、2003年12月にジュネーブで開かれた世界情報社会サミット(WSIS)。国連機関である国際電気通信連合(ITU)が開いたこの会議の席上、中国やブラジルなどが「インターネットの統治権を米国政府からITUに移せ」と要求したのである。
 インターネットの統治権――はやりのカタカナ言葉で言えば、「インターネット・ガバナンス」である。これまでボランティアベースで運営されてきたインターネットの世界を、どのような運営スタイルに移していくかという議論といえる。
 いったい何が変わり、どこへ進もうとしているのだろうか?

 その前にまず、インターネットの成り立ちを簡単に振り返ってみよう。
 インターネットは1969年、米国防総省の研究機関であるDARPA(Advanced Research Projects Agency)の研究からスタートした。当時はインターネットは国防総省の予算によって維持され、ARPANETと呼ばれていた。
 当初はプロトコルにNCP(Network Control Protocol)を使っていたが、70年代に入ってTCP/IPモデルの開発が始まり、80年代前半に実装されるようになった。そしてこの時期、ARPANETと並行して米連邦政府機関の全米科学財団(NSF)がNSFNETを立ち上げ、後に運用終了したARPANETを吸収して現在のインターネットを形成していくことになる。DARPAにせよ全米科学財団にせよ、米国政府の機関であることには変わりはない。この時代のインターネットは、米国政府のカネで維持されていたとも言えるかもしれない。
 この時代からインターネットに深く関わっている日本ネットワークインフォメーションセンター(JPNIC)の丸山直昌理事は、次のように話す。
 「初期の先駆的な技術者たちが国防総省の予算でインターネットを研究したのは事実であるし、同省や全米科学財団はこの当時も、さまざまな研究予算を拠出していた。だがインターネットにはさまざまな技術者が集まり、そして米国政府以外の研究予算で発展した部分も少なくない。結局、インターネットは誰のものでもなかった」
 一方で、インターネットに関わる技術者たちは、1992年にISOC(Internet SOCiety)という団体を設立。主に技術的側面からインターネットの普及促進を支え、インターネットコミュニティの中心とも言える存在になった。下部組織にはインターネットの技術標準を統括するIAB(Internet Architecture Board)、さらにその下には実際に技術標準の決定を行うIETF(Internet Engineering Task Force)がある。
 ただISOCは、会費を支払っている個人会員によって構成されるボランタリーベースの学術団体的な組織であり、法的な基盤はなかったといえる。この問題は現在に至るまで、「インターネットは誰のものか?」という論争の底流となっているとも言えるのだ。

 ドメインの話に入ろう。
 インターネットの名前解決は、当初はhosts.txtという照合表をAnonymous FTPで公開することによって行われていた。DNSの運用がスタートし、ドメインが利用されるようになったのは1985年である。この年、最初のドメイン登録も行われた。
 この当時は、ドメイン管理はSRI-NIC(Stanford Research Institute's Network Information Center)が行っていた。だが93年になり、ドメイン登録が増えて業務が膨大になってきたことから、インターネットを維持していた全米科学財団と技術者集団のISOCは連名で、ドメインとIPアドレスの割り当て業務を行ってくれるところを公募することになったのだ。そしてその募集に手を挙げたのが、当時はまだ名も知られていない小さなベンチャー企業だったネットワーク・ソリューションズ(NSI)だった。
 このあたりの経緯は多少ややこしい。実はISOCの下部機関としてIANA(Internet Assigned Numbers Authority)という団体が1977年に設立され、IPアドレスとドメインの割り当て管理を行っていた。だがIANAには法的な権限がなかったことから、ドメイン登録業務を外部に委託する際、契約は米政府機関である全米科学財団と民間企業のNSIの間で行われることになったのである。
 ここでもISOC、IANAに法的権限がないことが構図に混乱をもたらしている。そしてこの問題は後に、さまざまな火種を残す結果となった。とはいえ、この段階ではまだインターネットの世界は、日々平穏無事に過ぎていた。インターネット利用は、ネットワークを知り尽くした技術者たちのサークルの中だけであり、衝突は起きにくい。

 ところがこうした枠組みが、変化を迫られる時期がやってくる。それは1994年ごろから始まった。インターネットが一般社会で爆発的に普及しはじめたのである。企業のブランディングの一環としてドメインを取得する企業が増え、サイバースクワッタ(ドメインの不法占拠)が出現し、ドメインの不足が問題になった。それまで企業で利用できるジェネリックトップレベルドメイン(gTLD)が実質上、.comと.netの2つしかなかった状況に対し、新たなgTLDを作ってほしいという要求が高まった。
 おまけに企業側からは、どこが管理しているのかわからないインターネットのドメインは、非常に不可解な枠組みに映った。そもそも、当時はネットコミュニティに対する理解も十分ではなかった。ドメインを取ろうとしたら、類似社名の他社にすでに取得されているといった事態が相次いだが、そうした企業からは「いったい誰が何の権限で、他社にドメインを与える許可を与えたのだ?」という疑問が提示されることも多かったのである。
 いったい誰が何の権限で――。インターネットコミュニティは、答のない疑問を突きつけられた格好になった。そもそもインターネットは技術者たちのボランタリーベースで運営されており、オーソリティの根拠にはっきりしたものはない。
 加えて、NSIに対する反発が、批判に拍車をかけた。全米科学財団からgTLDに関する登録業務を93年に委託されたNSIは、95年から登録を有料化する。当初は米国政府の予算で登録無料を維持していたが、ドメイン登録の激増でコストが急増し、維持できなくなったためだ。登録料は2年分の維持料を含む初期費用が100ドル、3年目以降は毎年50ドルと定められた。これによってドメイン登録のコストの問題は解消したものの、逆にNSIへの批判が燃え上がることになる。NSIが儲かりすぎたためだ。
 当時の事情に詳しい関係者は語る。
 「NSIは93年にドメイン登録をスタートさせ、有料化した時期には100万ドメインを超えていた。1カ月に1000件だったペースは瞬く間に1日1000件、1日10000件と等比級数的に増えていき、有料化したとたんに入ってくる収益も膨大なものになった。当時、NSI本社を訪れたことがあったが、オフィスには銃を持った警備員が常駐し、幹部は『ものすごいカネが流れ込んできている』と豪語していた」
 「不当な独占ではないか」という批判が巻き起こったのも当然だった。そしてインターネットコミュニティは、こうした問題への早急な対応を迫られたのである。

 そこで96年に作られたのが、IAHC(Internet Ad-Hoc Committy)だった。IAHCはISOCの下部機関である。前出の丸山氏が語る。
 「サイバースクワッティングへの対応やトップレベルドメインの不足、それにNSIの独占に対する批判などに対し、どのように応えていくのかがISOCなどで盛んに議論された。しかし既存の組織では、これらの問題に対応できなかった。インターネットの技術標準を議論しているのはISOC傘下のIETFだが、当時も今も法人格がなく、法的な根拠もない。さらにIETFに参加しているのは技術者たちで、彼らは政治的な議論をあまり好まないということもあった」
 IAHCは猛スピードで議論を行った。5時間以上も続く電話会議を週に3回も行い、突貫工事並みの短い時間で提案文書を作り上げたのである。内容は、次の3点から成っていた。
 ①ドメイン管理の仕組みとしてgTLD-MoU(Memorandum of Understanding:覚書)を作成し、賛同する人の署名を集めて権威付けを行う。
 ②7つのgTLD(firm、store/shop、web、arts、rec、info、nom) を新設する。
 ③ドメイン紛争については、世界知的所有権機関(WIPO)の役割に期待する。
 そして97年にgTLD-MoUへの署名が集められ、翌98年には新しいgTLDを管理する会社の募集まで行われた。IAHCの計画は、軌道に乗り始めるかに見えた。

 ところがここで突然、米政府が乗り出してくるのである。
 98年1月、米政府は通称「グリーンペーパー」と呼ばれる文書を発表した。正式名称を「インターネットの名前及びアドレスの技術的管理の改善についての提案」という。その内容は、驚くべきものだった。米国政府がインターネットの正式な所有者であると宣言していたのである。

 「今日のインターネットは、パケットスイッチング技術及びコミュニケーションネットワークに対する米国政府の投資から生まれた結果である。(中略)1992年、米国議会は、全米科学財団に対して、NSFNETを商用化するための法的な権限を与えた。これが今日のインターネットの基礎となっている」(JPNIC訳、http://www.nic.ad.jp/ja/translation/icann/bunsho-green.html)

 そしてドメイン管理はインターネットユーザーを代表する単一の組織に任せるべきであるとし、民間の非営利法人の創設を提案したのだ。
 これに対して、インターネットコミュニティからは大きな批判が巻き起こった。「世界各国のさまざまな研究者が共同で作り出したインターネットを、米国は独占しようと言うのか?」
 米政府はこれに若干譲歩する形で、半年後に「ホワイトペーパー」(インターネットの名前およびアドレスの管理、http://www.nic.ad.jp/ja/translation/icann/bunsho-white.html)を再度提案する。この文書では米政府の権利については若干譲歩したものの、IAHCの提案に対しては「技術者たちによって支配され、ビジネス関係者やその他の人々の参加、意見が欠如しており、非難の的になった」と切り捨てた。そして再度、新しい非営利組織の創設を求めたのである。
 それに応えるかたちで創設されたのが、IANAを発展的に解消した新組織――ICANN(Internet Corporation for Assigned Names and Numbers)だった。
 IAHCやIANAなどに法的権限がなく、さまざまな問題を引き起こしたことから、ICANNは法人登録され、米商務省との間でIPアドレスとドメインに関する契約が結ばれた。1998年11月のことである。
 実際、ICANNは創設後、ドメインを管理する組織と登録申請業務を行う企業を分割した「レジストリ・レジストラ」制度を導入し、7つの新gTLD(IAHCの提案とは別のもの)を新設。さらにドメイン紛争の処理方針を策定するなどの成果を挙げた。

 ICANNの設立により、政府の干渉からインターネットの自主独立を守り、さまざまな問題も解決するかに思われた。
 しかしICANNが動き出してから、深刻な問題が次々と噴出するようになったのである。
 最大の問題は、理事会運営の不透明さだった。そもそも理事の選出自体、どのように行われたのか公開されていなかった。ICANNに関わっている関係者のひとりは、次のように証言する。
 「ICANNの理事には、米政府が反対しない人を選ばなければならない。さらに、ICANNのはいずれ、ドメイン管理の法的根拠を問われて何らかの形で訴訟に巻き込まれる可能性もある。そうした裁判に耐えうる人物を理事にしなければならない。主要メンバーと顧問弁護士らはそうした要素をさまざまに考慮し、きわめて政治的な判断で理事を選んだ」
 この証言を裏付けるように、初期理事には、米国の政府委員も務めている出版社経営の女性、エスター・ダイソン氏や女子大の学長であるリンダ・ウイルソン氏などがメンバーに入っている。ふたりとも、もともとインターネットコミュニティの人間ではない。
 こうした不透明な選出経緯に加え、「非公開の会議が多く、決定プロセスが不透明」「商務省の下請け機関になってしまっているのではないか」といった批判も相次いだ。「ICANNの幹部はビジネスクラスで出張に行っている」という非難まであった。
 こうした批判に対応するため、ICANNは2000年10月、一般インターネット利用者(At Large Member)から理事を選出するという初めての選挙を実施した。ICANNの理事会は事務局長1人と設立当初からの暫定理事9人、サポーティング組織からの理事9人の計19人で構成されており、暫定理事の一部を公選で選ぶ理事5人と入れ替えるというものだ。
 この選挙は立候補から投票まで、すべてインターネット上で行われるという人類史上初の電子投票となった。インターネットユーザーであれば誰でも投票できるとしたこの理事選挙には、全世界から15万以上が登録を行った。
 投票が行われた結果、アジア太平洋地域で富士通ワシントン駐在員事務所長だった加藤幹之氏が当選するなど、地域別に5人の公選理事が選ばれた。だがこの公選制について、直後からたいへんな議論が巻き起こる。「果たして公平な選挙が行われたのか」という批判も多かった。一般ユーザーの選挙登録者数は北米地域が1万人あまりだったのに対し、アジア太平洋地域は3万8000人以上に達していた。アジア諸国が自国の権益を拡大するため、組織的に登録を行ったのではないかと批判された。こうした“不正選挙”への批判に加え、選挙費用の拡大や、投票者、候補者の選定基準などに対しても疑問が呈された。
 この結果、ICANNは理事公選制をわずか1度限りとして中止することになってしまう。そして2002年3月。ガーナで開かれたICANN会議の席上、スチュワート・リン事務総長は衝撃的な発言を行う。公選理事の代わりに、各国政府に理事の任命権を与えることを提案したのである。
 ボランタリーで自由な仲間たちが支えるというインターネットの幻想が、打ち砕かれた瞬間だった。かつて「技術者サークル」として生まれたインターネットは、90年代末以降、急速にビジネスの手段へと存在意義を変えていく。このパラダイムの転換の中で、インターネットのガバナンスも方向性を変えざるを得ない状況になったとも言えるだろう。つまり技術者のサークルから、ビジネスの利害調整の場へと移らざるを得なくなってきたのだ。公共の利益をいったい誰に代弁させるのか。好意的に解釈すれば、リン事務総長の提案は、その難問に直面し、考え抜いた挙げ句の苦渋の決断だったようにも見える。
 もちろん、この提案はインターネット世界から凄まじい批判を浴びた。だがICANN内部では「改革はもちろん必要だが、理事公選制では実現できない」という意見が大勢を占めた。ICANN理事会はインターネットコミュニティの人々が幅広く参加できる委員会やフォーラムの設置を提案し、そして同年10月、中国・上海で開かれた理事会で理事公選制の廃止は正式に可決されたのである。

 しかしICANNにとっての茨の道は、これで終わらなかった。次に批判の狼煙を上げたのは、中国やブラジルなどインターネット世界の“後発組”たちである。
 2003年12月、世界情報社会サミット(WSIS)がジュネーブで開かれた。この会議で、中国やブラジルの代表が「インターネットのガバナンスをICANNから国際電気通信連合(ITU)に移せ」という議案を突如として提出したのである。ICANNはあくまで米商務省と契約した米国内の民間団体であり、国際機関ではない。インターネットは1国が管理すべきではなく、国際管理に移すべきだ――というのがその主張だった。
 こうした提案が出てきた背景には、IPアドレス割り当てに関する不公平感が、第三世界を中心に広がっていることがある。IPアドレスは米国に過剰に割り当てられており、今後、途上国が利用できるアドレスの数はかなり制限されることになるというのだ。また中国などからは、2バイトドメインの採用に関する不満もある。さらには、ドメイン管理を米政府が行っていることに対する直接的な危機感もある。イラクのようにテロを支援していると米国から見なされた途端、ドメインをDNSから削除されてしまうのではないかというのだ。
 インターネットのガバナンス問題に取り組んでいるアジアネットワーク研究所の会津泉氏は、「イラク戦争も影を落としている」と話す。「各国の反対を無視し、イラク戦争を強行した米国への反発が背景にある。また国連にとっても、イラク戦争で何の抑止力も発揮できず、無力だったという反省がある。冷戦後の枠組みの中で米国に一方的に与せず、しかし米国を無視せずにやっていかなければ国際社会はうまくいかない。インターネットガバナンス問題でも、国連のそうした意識が影響を与えている」
 一方で、この提案の背後には、ITUの暗躍もあったようだ。WSISの主催者だったITUは従来、電話会社の業界団体的な色彩が強かった。かつてAT&TやNTTなど各国の電話会社は、インターネットの普及を何とか阻もうとしてインターネットコミュニティと激しく対立した経緯がある。
 会津氏は「ITUは昔、通信がインターネットへと移行した際に、自分たちの権威が失われたという被害者意識を持っている」と解説する。それだけに、今回の中国やブラジルの提案は、ITUにとっては千載一遇のチャンスとなる可能性がある。ITUにはITU-Tという標準化部門があるが、これに加えてITU-Iというインターネット部門を新設し、ドメイン管理などを取り込もうという動きさえ出てきているという。
 だがインターネットコミュニティには、嫌悪感とさえ言えるITUへの反発がある。前出の丸山氏は「ITUが90年代初めに『専用線の第三者使用の禁止』という勧告を出し、インターネット普及を妨害した。これによってインターネットはたいへんな苦労をする結果となった」と話す。
 こうした過去の記憶だけではない。丸山氏は言う。「ITUは関係者の利害調整が主であり、どのような技術を作り、インターネットをどのような方向に進めていくべきかという議論には馴染まない。そうした機関にインターネットのガバナンスを任せていいのかという疑問がある」

 そしてICANNをめぐる議論が拡大していくのと合わせるかのように、インターネット・ガバナンスという言葉の定義自体も少しずつ変わり始めている。これまでインターネットガバナンスという言葉は、主にIPアドレスの割り当てとドメイン管理を指して使われていた。だがここ数年、コンピュータウイルスやスパム、サイバーテロなどの問題が国境を越えた国際的な課題となり、ガバナンスの範疇にこれらの問題を含めるようになりつつあるのだ。
 会津氏はこう話す。「ガバナンスというテーマではまだ徹底的な議論は行われておらず、ガバナンスの定義自体まだ明確にはなっていない。インターネットの当事者たちが自発的にマネジメントするのがガバナンスだという人がいれば、政府が参加するのがガバナンスだと主張する人もいる。スパムやサイバーテロを含めるかどうかも、まだ議論の途上だ」
 ITUとインターネットコミュニティの積年の対立、そして第三世界と欧米のインターネット空間割り当てをめぐる対立――。さまざまな対立構造が乱れ、定義までもが混乱するインターネット・ガバナンス。この状況を収拾するため、ITUの上部機関である国連は、ひとつの決定を行った。インターネット・ガバナンスについて定義し、具体的な内容を検討するワーキンググループをアナン国連事務総長の下に設置するというのである。ワーキンググループの検討内容は、2005年11月にチュニジアで開かれるWSIS第2フェーズで提案されるのだという。
 今後、国連ワーキンググループがどのような提案を行うのか。その内容は、インターネットの将来を大きく変える可能性もはらんでいるといえるだろう。

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March 01, 2004

花粉症に新兵器続々……(サンデー毎日 2004年3月)

 いよいよ首都東京でも、スギ花粉が飛び始めた。1月23日に、東京都が「都内のほとんどの観測地点でスギ花粉が飛散を始めた」と発表したのだ。昨年夏が記録的な冷夏だったこともあり、今年はスギの花芽のつき具合が悪く、花粉の量は例年の1割程度という予想もあるが、油断は禁物。マスクをしないで外出したりすれば、あっという間にくしゃみの連発……ということにもなりかねない。苦しんでいる人にとっては、何ともイヤな季節の到来である。
 日本人の5人に1人が患者だと言われ、いまや立派な国民病のスギ花粉症。症状を抑えることができるさまざまな成分の研究も盛んで、そんな研究成果の商品化も活発に行われている。特に今年は、トマトやヨーグルト、ミントといった「変わり種」の花粉症対策食品が目立つようだ。
 「トマトをジュース以外にも利用できないかと、健康に良い成分を研究していたんです。その結果発見できたのが、抗アレルギー活性のある『ナリンゲニンカルコン』でした」
 うれしそうに話すのは、キッコーマン研究本部の小幡明雄主任研究員である。同社はトマトの果皮に花粉症を緩和する効果があることを発見し、「トマトのちから」という名前で商品化しているのだ。
 その開発のいきさつは、何とも興味深い。
 きっかけは、機能性食品の大ブームの中で、同社グループ企業の日本デルモンテが「トマトにも何かカラダにいい成分はないだろうか」と考えたことからだ。デルモンテのビジネスの中心はトマトであり、ジュースやピューレ、ケチャップなどに加工して全国で販売している。原料のトマトは同社が農家と契約し、群馬、福島県などで栽培しているという。「桃太郎」などスーパーで目にする市販のトマトとは異なり、より野生に近く細長い形をした「デリシャスレッド」という品種である。
 5年ほど前からキッコーマンと日本デルモンテによる共同研究を開始し、1年数カ月の苦労の後、「デリシャスレッド」にはアレルギーに利く性質があることが判明。だがこの性質が、どの成分に由来するのかがわからない。皮や種、実などに分けて細かく分析を続けていった結果、ようやく皮に含まれている「ナリンゲニンカルコン」が抗アレルギー活性を持つことを突き止めた。ナリンゲニンカルコン自体は以前から知られていた物質だが、アレルギーに効くことは知られていなかったのである。
 ナリンゲニンカルコンは、桃太郎など他の品種のトマトにはほとんど含まれていないという。同社が栽培しているデリシャスレッドにだけ、なぜか大量に含まれているというのである。何とも同社にとっては都合の良かった成分だったというべきだが――。
 「それだけではありません。ナリンゲニンカルコンは、これまで不要な部分だった皮にだけ大量に含まれていることがわかったんです」(小幡研究員)
 ジュースやケチャップを作る際、皮は不要物として取り除かれていた。ブタの飼料や肥料になったり、時には産業廃棄物として捨てられたりもしていたのである。その皮が、花粉症対策の売れ筋商品に化ける――同社にとっては笑いが止まらない“大発見”だったであろう。
 とはいえ、製品化までにはいくつかのハードルもあった。これまで捨てていたトマトの皮をどうやって大量に調達し、そこから有効成分を抽出するか。花粉症を抑えようとすると、ナリンゲニンカルコンの抽出物をひとり1日約360ミリグラムも摂取しなければならない。これを原料換算すると、1日の数量はトマト10~20個にもなるのである。工場のジュースを絞るラインを改造し、皮を集めるラインを作るなどの設備投資が必要だった。
 また花粉症効果をアピールするためには、臨床試験も欠かせない。同社はスギ花粉症にかかった経験のある東京在住の男女11人に、花粉症の時期にナリンゲニンカルコン抽出物を毎日摂取してもらった。この結果、7割以上の人が「くしゃみが減った」「鼻づまりが改善された」といった効果があったと答えたのだという。
 キッコーマンは、このナリンゲニンカルコン抽出物に「トマトのちから」という名前をつけ、昨年春の花粉症時期に初めて発売。前年夏に収穫したトマトの皮を大量に集めるのが難しかったため、コンビニと通販だけに絞って控えめに売り出したところ、飛ぶように売れた。1月からのわずか3カ月間で5億円の売り上げがあったというから、たいへんな勢いといえる。
 今年は勢いに乗り、大量生産を行って昨年の3倍の売り上げを目指しているという。キッコーマン健食営業部の茂木英三郎部長は、
 「トマト自体に健康のイメージが強く、そのイメージ効果が大きかったと思う。身近な食品で副作用もないですからね。それに加えて、花粉症にも効くという意外性が受けたのではないかと考えています」
 と話す。そして、
 「今年は昨夏に収穫したトマトの皮をすべて投入しました。売れるか売れないかは、採らぬトマトの皮算用ですが……」
 と鼻息も荒いのである。
 今年の花粉症対策で、もうひとつの注目株は「ヨーグルト」だ。ヨーグルトに含まれる乳酸菌に、花粉症を抑える効能があることが発見されたからだ。東京農工大農学部の松田浩珍(ひろし)教授が解説する。
 「もともとは、乳酸菌がアトピー性皮膚炎に効くという研究がフィンランドで行われたのがきっかけでした。フィンランドのツルク大学で、乳酸菌を妊娠した母親と新生児に投与した結果、子供のアトピーの発症率が半分以下になったんです」
 乳製品が好まれるヨーロッパの中でも、特にフィンランドは乳製品の歴史が古い。消費量も世界一だという。乳酸菌の効果についても、さまざまな研究が行われているのである。そしてアトピーに乳酸菌の効果があったというツルク大の研究結果は、2001年に初めて発表され、大きな反響を呼んだ。
 実は以前から、乳酸菌は花粉症に効くのではないかと考えられていた。乳酸菌が悪玉菌を増殖させないようにすることで腸の機能を高め、これが間接的に花粉症のようなアレルギーを抑えるのではないかと見られていたのである。だがツルク大の研究によって、乳酸菌の効果は間接的ではなく、免疫細胞に直接的に作用してアレルギーを抑えることが証明されたのだ。
 松田教授が続ける。
 「ツルク大の研究は、国際的科学雑誌の『ランセット』に掲載され、乳酸菌研究者たちの間でたいへんな話題となりました。私の研究室でも乳業メーカーと組み、2種類の乳酸菌を使って妊娠マウスを対象にした実験を行い、同じような実験結果を得ています」
 乳酸菌の抗アレルギー効果は、世界的に認められつつあるというのである。
 この研究結果に飛びついたのが、乳酸菌飲料を製造販売している各メーカーだった。今年は各社から、花粉症対策を前面に出した製品が次々と発売されている。たとえばネスレは、本社のあるスイスの研究所で4000種類の菌から選ばれたという「LC1乳酸菌」を使ったヨーグルトドリンクを発売。「免疫力をアップさせ、花粉症の予防をサポートする」とPRしている。また小岩井乳業は、免疫バランスの乱れを直してくれる能力を持つ「KW乳酸菌」を使った商品を投入。2月から全国で「KW乳酸菌ヨーグルト」を発売ている。カルピスも乳酸菌を使った「インターバランスL-92ヘルシーショット」を販売している。
 前出の松田教授はこうした乳酸菌ドリンクの飲み方について、
 「持続させることが大事。薬のように一回飲めば効くわけではなく、成分をからだの中にソフトに蓄積していかなければならない。やめるとすぐに必要量以下に低下してしまうので、食事時などの習慣にして常時飲んでいくようにしたほうがいい。副作用もなく、アレルギー対策以外に整腸効果もあるので、習慣づけて悪いことはひとつもありません」
 と勧めている。
 これら以外にも、花粉症対策の“変わり種”はさまざまに登場している。日本コカ・コーラはペパーミントの中に含まれる「ミントポリフェノール」が花粉症を和らげる効能を持つことに注目し、無糖の紅茶飲料「春のミント習慣」を花粉症の時期にあわせて発売。また化粧品輸入販売のナジャペレーネは、鼻の粘膜に塗ることで花粉の侵入をブロックする風変わりなクリーム「アレルゴール」を発売している。ほかにも南米原産の植物「シジュウム」を使った製品や西洋フキ、シソの葉、甜茶……発売されている商品を数え上げだしたらきりがない。総じて見れば、今年の花粉症対策の主流は「自然派」。あくまでソフトに、天然系の素材を使った健康食品で花粉症を予防しようというのが今年のトレンドのようだ。
(ジャーナリスト・佐々木俊尚)

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