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January 07, 2004

ネット犯罪レポート24「風評被害の恐ろしさ」(PC Explorer 2004年1月)

 2003年12月25日。この日、佐賀県内は空前の取り付け騒ぎに、蜂の巣をつついたようになった。「佐賀銀行がつぶれる」というデマが飛び交い、多くの預金者が解約のために支店の窓口やATMに殺到したのだ。
 なぜこんな事態が到来したのか、佐賀銀行の行員たちもわけのわからないまま、無我夢中で行列を作る人たちに叫び続けた。「つぶれるというのはデマです! 安心してください!」。本店前では、日銀の佐賀事務所長まで登場し、「心配ありません」と呼びかけた。
 だが行員たちが声を枯らしてもほとんど効果はなく、この日の夕方には本店ATMに300人も並び、約100メートルに達する長い列ができた。県内各地の支店には顧客の車が押しかけ、周囲の道路は大渋滞した。佐賀銀行は県内外210カ所にあるATMの取り扱い終了時間を通常の午後9時から午後10時半にまで延長し、必死で対応を続けた。この日、佐賀銀行から引き出された預金は180億円に上った。各支店からは、「現金が足りない!」という悲鳴のような連絡が続々と本店に届いた。一部のATMは現金不足で休止に追いやられ、そのATMを見た人たちから新たなデマも広がった。「やっぱり佐賀銀行はつぶれるらしい。ATMも動かなくなった!」
 きっかけは、一通のデマメールだった。

>緊急事態発生
緊急ニュースです!某友人からの情報によると26日に佐賀銀行がつぶれるそうです!
預けている人は明日中に全額おろすことをお勧めします。
信じるか信じないかは自由ですが、不安なので明日全額おろすつもりです!
以上緊急ニュースでした。

 発信元は明らかになっていない。だが取り付け騒ぎが起きた前日の12月24日、メールは発信されたとみられている。波及の大きさから推測して、同報で多くの人たちに一斉通信されたのではないかという見方もある。この文面がチェーンメールと化し、瞬く間に県内一円に広がっていったのだ。
 そして情報は携帯メールのパースペクティブを乗り越えて拡大し、一部はインターネットの匿名掲示板にも及んだ。「○賀○行いよいよ倒産なの?」「知人から先ほど電話が有りました! 今夜あたり(破たんを)発表?」「もう預金をおろしに行ってる人もいるらしい」。
 佐賀県内でこの情報を見た人は、電話でも知人や友人、親せきにも情報を流した。「知ってる? 佐賀銀行がつぶれるんだって」「明日には預金がおろせなくなるらしいよ」
 駆けめぐる情報を前に、途方に暮れて周囲に相談する人も現れる。「どうしよう」「明日からオカネがなくなっちゃうかも」「やっぱりおろしに行こうか」
 情報が錯綜し、携帯電話で連絡を取り合う人が増え続け、県内全域で携帯電話がかかりにくくなった。情報が途絶すれば、不安が不安を煽り、さらに人は過激な行動に走る可能性もある。佐賀県はパニック寸前だったのだ。
 佐賀銀行の幹部たちがこのデマメールの存在を知ったのは、25日昼。午後1時から本店で役員会が招集され、対応が協議された。指示されたのは、騒ぎを収拾するためにとにかく現金を各支店に搬送すること。そしてもうひとつが、警察への告訴だった。緊急に弁護士に連絡が取られ、夕方には佐賀県警に告訴状が届けられた。罪名は信用毀損罪。被疑者不詳のままでの告訴状受理だった。

 それにしても、なぜこんな騒ぎが起きてしまったのだろうか。
 今回取材にあたった地元記者は、こう話す。
 「当初、デマメールの内容を信じた人はそれほど多くなかったとみられています。メールが流れたのが24日夜から翌25日午前にかけてであるのにも関わらず、この段階ではATMに並んだ人はあまり多くなかったからです」
 ところが情報が駆けめぐるうち、ひとりの人間に複数のソースから「佐賀銀行がつぶれる」という情報が流れ込むようになる。もちろん一次情報の最初の情報源は単一のデマメールなのだが、一次情報を受け取った人たちが独自の解釈や推測を加えて二次情報としてデマを増幅させ、回り回って同じ人のところに似たようなデマがやってくる。このため多くの人が「みんなが佐銀がつぶれると言ってる!」と思いこみ、情報が真実だと信じるようになっていったのだ。
 そして営業などで外出していた同僚たちから、「佐賀銀行のATMの前に人が並んでいる」という情報がもたらされる。倒産はいよいよ確信を持って語られるようになる。
 前出の記者はいう。
 「多くの人はそれでも冷静に対応していたのですが、しかしATMに人が並んでいるのを見て、『やっぱり本当なのか』と思った人や『ウソかもしれないが、念のために預金を引き出しておこう』と思う人が相次ぐようになってしまったのです」
 しかし、銀行倒産から預金封鎖というのは、発想としてもあまりにも飛躍が大きすぎる。日本には預金保護の制度があるからだ。銀行が破たんして預金の払い戻しができない場合、その銀行に代わって「預金保険機構」が預金者への払い戻しを行ってくれるという制度をペイオフという。払い戻しは1000万円が上限になっているが、普通預金などについては2005年まではペイオフが凍結されているため、現在は預金の全額が保護されることになっている。つまり仮に佐賀銀行が突然破たんしたとしても、一般の人の預金はすべて戻ってくるということなのだ。
 では佐賀の人たちは、この制度を知らなかったのだろうか? しかし新聞やテレビでは、各地の銀行が破たんするたびに「預金は全額保護される」とアピールし続けているから、そうした知識がなかったとは考えにくい。ではなぜ?
 その背景には、佐賀県特有の事情があった。実は取り付け騒ぎが起きる約半年前の2003年8月末、佐賀市の佐賀商工共済協同組合が約56億円の負債を抱えて破産するという事件が起きているのである。地元記者がいう。
 「同組合は預金保険法の対象外で、組合員が積み立てていた積立金は4分の1程度しか戻ってきませんでした。このときの衝撃は今も佐賀県民の間に鮮明で、今回の佐銀取り付け騒ぎにつながったのではないかと見られています」
 今回の取り付け騒ぎに、マスメディアの報道にはまたも「ネット社会の危うさ露呈」「電脳時代に起こるべくして起きた『情報テロル』」などといった派手な見出しが躍った。しかしインターネットはあくまでも、情報の媒介者にすぎない。口コミだけでも取り付け騒ぎは十分に起こりうる。実際、1973年に愛知県で起きた「豊川信用金庫取り付け事件」では、女子高校生が電車の中で交わした冗談がきっかけとなり、口コミで倒産説が流布し、数億円の預金が引き出される騒ぎとなった。口コミだけでも、情報は十分に素早く増殖していくのだ。
 取り付け騒ぎのトリガーとなったのは、インターネットの普及ではないだろう。
 豊川信金事件が起きた遠因には、石油ショック直後の社会不安があったとされている。今回の佐銀取り付け騒ぎが起きた背景には、長引く不況下で金融機関の破たんが相次いでいることがある。原因は時代状況に求めるべきなのだ。

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