December 07, 2004

新興検索エンジン群像(iNTERNET magazine 2004年12月)

 コンピューティング環境の中で、検索エンジンの存在価値は日増しに高まっている。マクロな目で見れば、これまでポータルサイトを最大の経由地として考えられていたユーザーのトラフィックは、Googleツールバーをはじめとする検索エンジンへとシフトしつつある。ミクロな視点から見ても、たとえばデスクトップ検索の登場など、検索エンジンをパソコン利用のアシストとして使う動きが高まりつつある。
 そうした状況に応じ、検索エンジン業界も少しずつ変わりつつある。膨大な数のマスユーザーを相手に巨大検索企業が三つ巴の戦いを繰り広げている一方で、よりニッチな検索エンジンも登場しつつある。
 検索エンジンの市場を見てみると、そこにはいくつかの異なった方向性があることに気づかされる。
 まず第1に、マスを勝負にした検索エンジン。業界の主戦場であり、GoogleとMSN Search、Yahoo Search Technology(YST)が熾烈な争いを展開している。
 第2に、デスクトップ検索への参入。インターネットで生まれた技術である検索エンジンは、パソコン内のハードディスクを検索できるデスクトップ検索をも呑み込み、コンピューティング環境全体を取り込もうとしている。Googleがいち早くデスクトップ検索を発表したのをはじめ、MicrosoftもWindowsの将来バージョンでデスクトップ検索機能の強化を打ち出すなど、業界のバトルフィールドのひとつにもなりつつある。
 そして3番目の動きとして、より専門性を高めた高性能な検索エンジンの追求。たとえば今や、世界を席巻しつつあるブログとの連携などがそうだ。ブログやニュースの検索機能を強化することで、マスを相手に勝負しているGoogleやYSTでは対応しきれないような専門的な部分を、先鋭的な検索エンジンでカバーしていこうとしている。

 第1の検索エンジン主戦場では、ガリバー企業GoogleにYST、それにベータ版を発表したばかりのMSN Searchが追いすがる格好となっている。だがプレーヤーはこの3社だけではない。特に注目すべき存在としては、最近日本市場への参入も果たしたアスクジーブスが挙げられる。同社のTeomaエンジンは独自の検索アルゴリズムを実装しており、これまでのGoogleやYSTにはない能力を持っている。
 そのアルゴリズムはSubject-Specific Popularityと呼ばれているもので、検索キーワードに関するテーマを持っているウェブページを集め、それらのリンク構造をもとに複数のコミュニティに分類する。そしてそれらのコミュニティの中で、数多くリンクされているページ、それに質の高いページの紹介を行ってるページをそれぞれ探し出す。インターネットのコミュニティ化に注目し、最新のネットワーク理論を検索エンジンに応用したもので、的確なウェブページを探し出す能力においてはGoogleのページランクよりも高機能だと言われているほどだ。
 そのアスクジーブスはトランスコスモスと提携して日本国内で合弁企業を立ち上げ、2004年春からウェブでの検索エンジン提供を開始している。アスクジーブスジャパンの塩川博孝代表取締役社長兼CEOは、「アスクジーブスの検索エンジンは、米国では学術的・雑学的な使われ方をしているケースが多い。たとえば『クジラは何歳まで生きるの?』といった従来の検索エンジンでは探しにくい答を自然文検索で調べることが可能で、子供の宿題に役立たせることもできる」と解説する。そして「われわれはGoogleやYSTを倒すといった大それたことはいっさい考えていない。利用者に第3の選択として選んでいただける検索エンジンになりたい」と話している。「インテリジェントでスピーディーな検索エンジン」というブランディングで、将来展開を図っていくという。
 日本市場に関して言えば、かつてロボット型検索エンジンを開発していた企業はほぼ撤退し、プレーヤー不在の状況が続いている。最後の砦と言われたNTTレゾナントのgooも、2003年秋にGoogleとの提携を発表し、今後はローカライズに徹することを宣言。検索エンジン開発から事実上撤退したとみられていた。
 ところがgooは、実は消え去ってはいなかった。NTTとNTTレゾナントが共同でgoo上に「gooラボ」と呼ばれる実験サイトを開設し、2004年秋から第3世代検索エンジンの公開実験を開始したのである。
 NTTサイバーコミュニケーション総合研究所の山下智一氏は、次のように語っている。「たとえば単なるキーワード入力による情報検索ではなく、その方法と対象を拡大することで、ユーザーの利用状況やニーズにマッチした情報を推薦し、そしてニーズの解決まで導くといった新たな検索エンジンのパラダイムを目指したい」
 つまり情報をただ単に提示するだけでなく、「解決」のためのナビゲーションとしての検索エンジンを目指すという考え方である。この一環として、たとえば過去15分以内に更新された国内主要ニュースサイトの情報を検索できる「goo最速ニュース検索」や、ユーザの関心に応じてニュース記事見出しを表示する「ニュース記事表示高度化実験」などがすでに実用化されている。アスクジーブスのような自然文検索も実験が進められているという。
 アスクジーブスやgooのこうした試みを見ると、検索エンジンの市場にはまだまだ成長の可能性が秘められていることがわかる。

 検索市場成長の可能性として最近、もっとも注目を集めているのは、デスクトップ検索だ。大きな流れで見れば、これはインターネットとローカルのパソコン環境のナビゲーションをシームレスに統一していこうという動きである。Google、Microsoft、Yahoo!の大手検索エンジン各社が最優先課題で開発に取り組んできたが、Googleが2004年10月、他社に先駆けて「Google Desktop Search」をリリースし、一番乗りを果たした。インターネット企業であるGoogleが、初めてデスクトップの世界へと乗り込んだのである。デスクトップ検索をめぐっては、MicrosoftがWindows次期バージョン「Longhorn」(コードネーム)にネットとローカルHDDの双方を同時に検索できる高度な機能を搭載し、これを足がかりにウェブ検索の世界でも市場制覇を狙っていくのではないかとささやかれていた。それだけに、ウェブ検索の覇者であるGoogleがMicrosoftに先んじてデスクトップ検索を発表したことは、業界ではかなりの衝撃を持って迎えられたようだ。
 Google Desktop Searchをパソコンにインストールすると、Microsoft Officeの文書・表計算ファイルやインスタントメッセンジャーのセッションログ、キャッシュされたウェブページ、OutlookとOutlook Expressの電子メールを洗いざらい調べ上げ、自動的にインデックスを生成する。インデックスはひんぱんにアップデートされ、タスクトレイのアイコンからファイルの中身を即座に横断検索できる。かなり低機能だったWindows標準の検索機能に比べれば、圧倒的な高機能に仕上がっている。しかもGoogleのウェブ検索と同じインターフェイスを持っており、Googleを使い慣れた人には非常に使いやすい。
 デスクトップ検索はYahoo!やMicrosoftも開発を進めている。Yahoo!はOddpostやStata Labs、MicrosoftはOutlookのメール検索用プログラムを開発しているLookout Softwareを買収しており、かなり本腰を入れてこの市場での展開を目指している。

 もうひとつの動きは、ブログと検索エンジンの連携だ。
 たとえば前出のgooは、ブログ検索高度化実験と題して「ブログスコープ」という名前のトライアルを始めている。これは新着ブログの全文検索や、類似したブログの検索、話題になっている記事の検索などを効率よく行えることを目指している。従来のブログ検索がRSSのサマリーを検索対象にしていたのと比べ、ブログスコープでは全文検索が行えるのが大きな特徴となっている。検索結果には「似ている記事を探す」というボタンも用意され、似たような内容を持っているブログのエントリーを検索することもできる。こうした機能は、gooラボで開発された高効率類似文書検索エンジンを活用したものだ。
 ほかにブログに含まれる他サイトへのリンクを集計し、その集計結果をもとにして「いま話題になっている記事」のランキングを表示する機能も提供されている。
 日本国内では、ブログ検索はある種のブームになりつつある。業界関係者は「すべてのウェブページを対象に、数十億のインデックスを作成する巨大検索エンジンの開発に関しては、もうGoogleやYSTには勝てないという気持ちが国内の企業には強い。巨大検索エンジンではなく、専門的に特化した検索エンジンの開発で独自性を出していこうという動きが国内企業の間で始まっている」と話す。
 経済産業省と独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が行っている未踏ソフトウェア創造事業では2003年、東京工業大精密工学研究所の奥村学助教授が運営するブログ検索エンジン「blogWatcher」が採択された。典型的なブログサイトが持っている特徴パターンを利用して、ロボットプログラムがWWWからブログのデータを収集。更新部分を抽出し、内容をもとにグループ化して分類したインデックスを作成し、そこからテキストマイニングを行って有用な情報を抽出するという仕組みだ。2004年8月に一般公開が開始され、すでに500万エントリーを超えるブログの検索が可能になっている。商品名などを入力してその商品に対するプラス・マイナス評価をチェックできる「評判情報検索」といった興味深い機能も実装されており、新たな検索エンジンの地平を感じさせるトライアルとなっている。
 商用化されたブログ検索として、ライブドアの「未来検索」やドリコムの「News & Blog Search」といったサービスも登場している。後者はドリコムが立命館大学と共同で開発したもので、単語や要素の共通点がどれだけ多いかによって他のページとの関連性を調べる「マトリクスクラスタリング」という技術が採用されている。またGoogleがデスクトップ検索で初めて採用したパーソナライズ機能も盛り込まれており、かなり先進的な内容だ。
 以上のように見ていくと、プレーヤーが消滅して市場から退場させられたかに見えた日本の検索エンジン業界も、徐々に息を吹き返しつつあることがわかる。
 アスクジーブスの塩川社長は、こう力説する。「Googleは市場を支配しているとはいえ、設立されてからまだ6年足らず。インターネットは常に3~4年で新しいテクノロジが投入され、パラダイムが変化していく業界で、確かにGoogleは現在のパラダイムではナンバーワンだが、次のパラダイムでも王者として君臨できるかどうかはわからない」
 確かに、検索エンジンというビジネスは立ちあがったばかりである。世界で検索エンジンを使用しているといわれる人口は、8億人。膨大な数だが、世界人口が60億人であることを考えれば、さらに成長が続く余地は残っている。現段階は、まだ成長の入り口に立ったばかりなのかもしれないのである。

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November 07, 2004

浮上しつつある巨大市場「監視ビジネス」最前線(PC VIEW 2004年11月)

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November 06, 2004

アフィリエイトは本当に儲かるのか?(Computer World 2004年11月)

 ウェブサイトで商品を紹介してもらい、購入額に応じて報酬を支払うという広告モデル「アフィリエイト」がここに来て、急激に成長している。アフィリエイト広告を掲載しているサイトはすでに30万人を突破したとも言われ、インターネットにおける小売市場の一角を占めるまでに至った。中には月額100万円を稼いでいる個人アフィリエイターも出現しているというのだが、言われているほどにバラ色のビジネスモデルなのだろうか?

 アフィリエイトというのは、個人や企業のウェブサイトで商品を紹介してもらい、そのリンクを経由して商品が売れたら、報酬を払うというインターネット広告の一種である。商品を直接ユーザーに販売する広告主、アフィリエイト広告を掲載するウェブサイト(アフィリエイター、アフィリエイトサイトと呼ばれる)、それに買い物をするユーザーの3者によってこの広告モデルは成立している。
 アフィリエイトが世の中に出現したのは1996年。Amazon.comがアソシエイト・プログラムと呼ばれる販売手法を提供したのが始まりだとされている。このきっかけとなった逸話は有名だ。どこまでが本当か分からないが、ネット上で語られているその神話は、次のようなものである。
 ――Amazon.comの創設者であるジェフ・ベゾス氏がある日、パーティーでひとりの女性を紹介された。女性は、ベゾス氏に言った。
 「わたしは離婚に関するウェブサイトを作っていて、かなり多くのページビューを稼いでるの。このサイト上でモノを売ったら儲かると思う?」
 ベゾス氏は答えた。「そりゃ儲かるかもしれないけれど、モノを売るためには倉庫も必要だし、決裁の仕組みも作らなければいけないからたいへんだと思うね」
 すると女性は、冗談まじりにこう返した。「じゃあ私のサイトでAmazon.comの本を売るのはどう?」
 この会話がヒントとなって、ベゾス氏は個人サイトで本を紹介してもらい、その売り上げに応じて報酬を支払うというモデルを思いついたのだという。そして実際に、この女性のサイトで離婚に関する書籍を推薦してもらう仕組みを実行に移したのである――。
 アメリカでは、このモデルはすぐに受け入れられた。1996年にAmazon.comがアソシエイト・プログラムを開始して直後、同じ年のうちに世界初のASP(アフィリエイト・サービス・プロバイダ)であるリンクシェア(LinkShare)も設立されている。アソシエイト・プログラムがあくまでAmazon.comという単一のECサイトをターゲットにした広告だけを提供していたのに対し、ASPは複数の広告主と複数のアフィリエイターを相互に契約させるというビジネスモデルを発案した。これによって数多くの企業が広告主として参入し、一気にマーケットが広がったのである。Amazon.comのような単一の広告主だけに広告を配信するアフィリエイトを「単独型」と呼ぶのに対し、ASPが中核となって複数の広告主と複数のアフィリエイターを網の目のように結びつけるモデルは「ネットワーク型」と呼ばれている。
 アメリカでこのモデルが受け入れられたのは、2つの背景事情があった。まず第1に、BtoCのEC(電子商取引)市場がすでにかなりの規模で出現していたこと。1996年当時、日本のEC市場がわずか250億円前後だったのに対し、アメリカでは約2500億円にまで達していた。約10倍である。1996年当時にこれほどの差がついてしまっていた要因はさまざまだろうが、ひとつには日米のクレジットカードに対する意識の差が挙げられるかもしれない。日本では、2004年の現在でもクレジットカードをオンラインで使うことに抵抗を感じる人が少なくないのに対し、昔から小切手文化を持っているアメリカではそうした抵抗感は薄かった。
 それに加えて、中小企業のIT化の度合いもアメリカの方が圧倒的に進んでいた。日本でもここに来て、ようやく非IT分野の地方企業もネットを駆使したビジネス展開を行うようになってきたが、90年代後半はそうした企業はきわめて希だった。その時期といえば大企業がようやくインターネットに注目し、手探りでネットビジネスを模索しているというレベルだったのである。
 日本ではAmazon.comのアソシエイト・プログラムがスタートした3年後、1999年にようやく日本最初のASPが誕生している。もともとトランズパシフィックという社名でホスティング事業を行っていたバリューコマース社が、アフィリエイトのプラットフォームを独自開発し、提供を開始したのである。バリューコマース社のブライアン・ネルソン社長兼CEOが、当時をこう語っている。
 「1999年の初頭にわが社の共同創設者であるティム・ウイリアムズがアメリカのASPを研究し、日本にそのモデルを持ってこようと考えた。だが他のネット広告と異なり、アフィリエイトはモノを購入するという仕組みを持っている。日本では決済手段に銀行振り込みがよく使われるなどの特殊事情があるため、海外のライセンスを受けるのでは日本国内でビジネスを展開するのは難しいのではないかと思った。それでアフィリエイトのソフトウェアの独自開発を進め、1999年10月に開発を完了。完成したソフトを発表し、サービスをスタートさせた」
 この時作られたアイトラックというアフィリエイトソフトウェアは、銀行振り込みなどクレジットカード以外の支払いにも対応し、さまざまなローカライズも施していたのが特徴だった。
 「しかし最初は営業にたいへん苦労した。広告主として大手クレジットカード会社や大手IT企業に足を運んだが、最初はまったく理解してもらえない。『本当にそんな方法でモノが売れるんですか?』とみんな半信半疑だったのだ。一生懸命説明し、理解してもらって広告を出してもらうにいたるまでに、数か月もかかった」(ネルソン社長)
 また別のASP関係者は「マルチ商法かネズミ講のたぐいだと誤解され、さんざんな目にあったこともあった」と述懐している。
 この時期は、バナー広告に対する幻想が消滅しつつあった時期でもある。1990年代半ばのインターネットブームとともに登場したバナー広告は、当初は「新しいインターネット時代の広告モデル」としてもてはやされた。ごく初期の段階では露出する露出する期間に応じて料金を支払うという方式だったが、大手広告代理店系など数多くの企業が次々と参入し、過当競争が激しくなり、クリック保証型へと移行していく。指定したクリック数に達するまで、広告の露出を保証するというモデルである。
 しかしそれでも、バナーの衰退は止めらなかった。インターネットが爆発的に普及することで、情報のインフレーションが起きていたのである。日々更新される膨大な情報を前に、人々は必要としてもいない広告バナーをわざわざクリックなどしなくなっていた。ウェブを閲覧する際、バナーを無視するのが当たり前になってしまったのである。
 ウェブサイトは急増し続けていたから、バナー広告の市場自体は成長していた。だが料金ダンピングが激しくなり、利益の確保は非常に難しい状況になっていたのである。こうした中でアメリカからやってきたのが、アフィリエイトだった。ネット広告代理店はわれ先にと飛びついたが、利益を上げられた代理店は多くなかった。広告主の側が、ネット広告に若干うんざりしてしまっていたからである。
 さらに、日本特有の事情もあった。先に、アメリカではEC市場の成熟と中小企業のITリテラシーの高さがアフィリエイトの成長の背景にあったと書いた。それとまったく逆の理由で、日本ではアフィリエイトを成長させる環境ができあがっていなかったのである。つまり一般消費者のECに対する理解度が低く、おまけに広告主としてアフィリエイトを担うべき中小企業のIT導入がかなり遅れていたからだ。
 それでも細々とではあるが、アフィリエイトの普及は進んでいった。当初はインターネット企業が会員集めの手段のひとつとして利用するようになり、その後は広告主として消費者金融が増えていった。だがネット広告の市場全体から見れば、規模は微々たるもので、知名度も低かった。
 こうした状況は、2002年ごろまで変わらなかった。初期のアフィリエイト関連企業が苦戦したのも当然だったといえるだろう。
 しかしここに来て、状況は劇的に変わってきた。
 最大の要因は、ブロードバンドの爆発的な普及である。
 振り返ってみると、日本でアフィリエイトが立ち上がった1990年代末は、ブロードバンドはまだ登場さえしていなかった。ADSLの先駆的存在だった東京めたりっく(後にソフトバンクグループに吸収)がサービスインしたのは1999年暮れのことである。その後まもなく、NTTグループもフレッツ・ADSLをスタートさせたが、このころは月額料金が5000~6000円に高止まりし、ADSLの加入者増も足踏み状態だった。ADSLが爆発的に普及を始めるのは、2001年にYahoo! BBが低価格で提供を始めてからである。ADSLは2000年ごろは、わずか10万世帯程度にしか普及していなかったのだ。
 だが現在、ブロードバンドをめぐる状況は大きく変わった。総務省発表の2004年6月末の統計によれば、インターネット接続サービスの契約数は約2870万件。FTTH176万件▽ADSL約1200万件▽CATV約269万件▽無線アクセス約5万件――となっている。ブロードバンド世帯数は約1650万件にも上り、普及率は約3割という高い率に達している。通信料金もきわめて安く、この数年で日本は世界でも屈指のブロードバンド先進国に変身してしまったのである。
 ブロードバンドの普及で、インターネットは日用品となった。一般消費者がインターネットを自由自在に使いこなす時代が到来したのである。ECサイトはどこも活況を呈し、ネット広告業界も息を吹き返した。そんな中で、アフィリエイトも急速に成長するようになった。そしてアフィリエイターとして月額100万円以上の報酬を手にする個人が次々と現れ、そうした事例が雑誌や書籍などで頻繁に紹介されるようになった。その高収入ぶりに人々は驚き、さらに多くのアフィリエイターと広告主を招き入れるという好循環が生まれた。マーケティング業界で、「2004年はアフィリエイト元年だった」と言われるようになったのである。
 大規模なアフィリエイターとして知られるパソコン関連商品購買支援サイト「coneco.net」運営企業、ベスタグ社長の柴田健一氏が解説する。「ECの市場が急速に立ち上がってきたことが最大の要因だった。ECが小売業界でも大きく注目を集めるようになり、そしてECサイトに顧客を誘導して売り上げをアップする手段としてアフィリエイトが認知されるようになってきた」
 アフィリエイトが隆盛を迎えたもうひとつの理由として、大リストラ時代の中で、徹底的なコスト効率を求められるようになった企業側の事情もあるようだ。ASP大手のA8.net(エーハチネット)を運営するファンコミュニケーションズの取締役社長室室長、杉山紳一郎氏は、
 「マーケティングの手法として、アフィリエイトはもっとも理にかなっている」
 と説明する。
 「テレビや雑誌、新聞など従来型の広告宣伝は、かなりギャンブル的な要素を持っていた。出稿した段階では広告効果がどの程度期待できるのかがわからないからだ。それを補うためにテレビの視聴率や雑誌の発行部数、レイティングなどのさまざまなデータを積み上げている。だがアフィリエイトであれば、そうした予測数字を必要としない。売れた分だけ広告費を支払えばいいわけで、広告主の企業にとっては非常に事業計画の立てやすい仕組みになっている」というのである。
 実際、小規模なベンチャー企業にとっては、雑誌などの媒体に広告を出すというコストのリスクは非常に大きい。通常、月刊誌などの広告単価はページ当たり数十万円。人気雑誌ともなれば70万円以上にも達する。
 あるISPの関係者は「雑誌に広告を打つ時には不安でいっぱいになる。これだけのカネを支払って、本当に効果があるのかどうか。予測できない賭けのようなものだ」と話し、「もし資料請求ハガキがどれだけ寄せられたら、どれだけの広告代金を支払うというアフィリエイト的なモデルが雑誌広告に存在していれば、広告を出稿しようとする中小ベンチャーは急増するのではないか」と分析している。実際、大手ASPに出稿している広告主には中小ベンチャーが少なくなく、他の広告ビジネスでは見られないようなスモールビジネス中心の市場となっている。
 一方で、広告主から見たこの仕組みが、アフィリエイターにとってのデメリットにもなっているようだ。報酬がどのぐらい得られるのかは実際にやってみなければわからず、予測を立てにくい。ギャンブル的な要素の多いビジネスである。個人が遊び半分にアフィリエイトを試してみるのならともかく、企業が事業として行うビジネスとしてはかなりリスクが大きいということになる。そうしたことも要因になっているのか、アフィリエイターには個人サイトが多いようだ。前出の杉山氏は「売り上げベースはポータルなどの法人サイトの方が数字が大きいが、数でいえば圧倒的に個人サイトが多い。9対1か8対2ぐらいの比率になるのではないか」と分析している。
 もっとも、こうしたアフィリエイトのデメリットについて、杉山氏は、「そうしたマイナス部分を逆手に取り、自社のサイトがメディアとしてのパワーをどの程度持っているのかを測る指標としてアフィリエイトは利用できる。ページビューだけでは測ることのできないポータルサイトのブランディング力を読めるということは大きなメリットになるのではないか」とも指摘している。
 現在の日本のアフィリエイトにもっと大きな問題があるとすれば、それは広告料金の低さだろう。アフィリエイターに支払う報酬が、先進国アメリカでは購買価格の5%程度が平均的な数字になっており、中には15%も支払われているケースも少なくない。これに対して日本では、わずか1~2%程度。アメリカと比べれば、日本のアフィリエイターはかなり損をしていることになる。
 なぜこのような格差が生まれたのだろうか。前出の柴田氏が解説する。
 「日本ではアメリカに比べてマーケティングに対する考え方が立ち後れていることに加え、アフィリエイトが立ち上がった90年代末に広告主からの理解を得られなかったことが今も尾を引いている。当時はECがあまり立ち上がっていなかったのが原因で、アフィリエイトの普及は難しかった。広告代理店もひたすらお願い営業に走らざるを得ず、『報酬は安くて構わないので、とりあえずアフィリエイトを入れてみてください』とダンピングに走った。そのころの広告料金がそのまま現在まで続いてしまっている」
 アメリカではどのようなマーケティングを行えば、購買者がどのように考え、次にどんなアクションを取るのかが綿密に計算されている。最初の買い物で仮に高い報酬をアフィリエイターに支払ったとしても、広告主企業の知名度は相当に上がる。おまけに次回からは、アフィリエイターを通さずに直接小売りサイトを訪れて購入してくれるという期待値もある。だからたとえば販売マージンがわずか5%程度しか得られない小売りサイトであっても、その5%をまるまるアフィリエイターに支払ってでも顧客を獲得しようとするわけだ。柴田氏は言う。
 「しかし日本ではそこまで考えが進んでおらず、ただひたすら報酬は安ければ安いほどいいとしか受け止められていない。アメリカでは高い報酬を払って客を増やし、市場を大きくしてさらに金を儲けようという考え方。逆に日本は、安い報酬でアフィリエイターのモチベーションが上がらず、客が増えないという縮小均衡になってしまっている。結果的に、Amazon.co.jpのアソシエイト・プログラムなど、報酬の高いところにばかりアフィリエイターが集中してしまい、市場が成長できないでいる」
 アフィリエイトに対し、広告主側が「個人サイトにおまけのようについている広告でしかない」という印象を持っていることが、背景にあるのだろう。
 だがアフィリエイト業界では最近、「アフィリエイトは広告ではない」という考え方が急速に広まりつつある。
 広告ではなく、販売チャネルのひとつだというのである。確かに個人サイトなどで商品を紹介し、その商品を売る手助けを行うというモデルは、販売チャネル的な性格を多分に持っている。しかも個人サイトやブログを読む人々など、これまでの従来型販売チャネルがリーチできなかった顧客までもターゲットにすることができる。
 アフィリエイトの隆盛は、メーカー側にとっては販売チャネルの拡大にもつながっているといえるだろう。
 バリューコマースのネルソン氏は話す。「たとえば大型電機店では電機メーカーの商品を販売し、3~7%の販売マージンを受け取っている。これに対してアフィリエイトではパソコンを1台売っても1%の報酬しか受け取れない。同じような販売チャネル的性格を持つのであれば、同じような割合にしてほしいという圧力は高まってくるだろう。5年、10年先にはアフィリエイトは販売手法の一角を占める大きなチャネルとして認知されるようになり、報酬のレートも上がっていくのではないか」
 報酬に関しては、他の問題もある。せっかくアフィリエイターが数多くの客を小売りサイトの側に呼び集めても、小売りサイト側の対応が不十分で買い物をする客が少なく、結果として報酬が減ってしまうことがあるという問題だ。店に客を呼んできたのに、中に入ったら店員の態度は悪いし、インテリア(デザイン)も汚くて、すっかり買う気が失せてしまった。せっかく努力した“客引き”に対しては報酬は一銭も支払わなくていいのか?というわけである。
 たとえば仮に、報酬レートが1%と低くても、客がたくさん集まってモノを大量に購入してくれれば、報酬は高くなる。逆に5%の報酬を約束しているところでも、モノが売れなければ報酬は増えない。要するに単純なアフィリエイトの場合は、コンバージョンレートの考え方が抜け落ちてしまっている。
 こうした問題に対応するため、クリック率を導入するところも現れている。たとえば前出のconeco.netがそうだ。coneco.netの柴田氏は「クリック率とコンバージョンレート、平均単価、報酬率(料率)が最終的な報酬の額を決定する変数になる」と説明している。
 いずれにせよ、アフィリエイトの認知度がさらに上がっていき、新たな販売チャネルとしての評価が高まっていけば、日本のアフィリエイトの報酬率も今後はアメリカ並みに高められていく可能性は高いだろう。メーカー側としても、やはりモノを売ってくれるところを大事にするはずだからだ。
 今後、アフィリエイトはどうなっていくのだろうか。
 現在すでに始まっている現象は、ブログとの連携だ。ブログで商品を紹介し、報酬を受け取る個人アフィリエイターはたいへんな勢いで増えている。ウェブと比較しても、個人の意見や感想などをより明確な形で打ち出せるブログは、アフィリエイトとの親和性は高いとみられている。ブログは現在、猛烈な勢いで増え続けており、このブログブームに乗ってアフィリエイトがさらに一般への認知度を高めていく可能性はある。
 さらに、ブログは検索エンジンとの親和性がきわめて高い。1エントリー(記事)が1ファイルになっているなど、検索エンジンのロボットが検索しやすい構造になっているのである。つまりブログでアフィリエイターを構成した方が、検索エンジン結果にヒットしやすいというメリットがある。
 ウェブマーケティング業界では、インターネットにおける人々のトラフィックが最近、大きな変動を迎えているとされている。つまり以前のようにショッピングサイトやポータルサイトのトップページから誘導されるのではなく、検索エンジンを経由してディープリンクで深部のウェブページに直接リーチするケースが増えているのである。
 この変動が、アフィリエイトと結びつくとどうなるだろうか。検索エンジン→アフィリエイター→販売サイト、という大きな流れが生まれてくる可能性がある。
 以前から、アフィリエイターとして成功するためには検索エンジン検索結果(SERP)で上位に入る必要があるというのは、アフィリエイターの基本原則として語られてきた。SEO(検索エンジン最適化)を利用するのはもちろん、SERPの上位に入るため、Google AdSenseやOvertureなどのキーワード広告を利用している個人アフィリエイターも少なくない。今後はこうした傾向に拍車がかかり、販売チャネルとしての検索エンジンにさらに大きな注目が集まることが期待されている。
 業界関係者は指摘する。「大手ショッピングモールの楽天市場では、売り上げの3割が楽天アフィリエイト経由になっている。検索エンジンを使ってショップへの直リンクで買い物に来る客も多いとみられ、ざっと半数の客は楽天のトップページは経由していないのではないか」
 “ポータル戦争”という言葉がある。ヤフーや楽天、ライブドアなどの大手ネット企業が自社ポータルの顧客リーチ率を競っている現象のことを指すが、実はショッピング市場に関して言えば、“ポータルvs検索エンジン”という新たな対立構図が生まれつつある。大手ポータル経由ではなく、検索エンジン経由で買い物をする客が増えているのである。
 そして検索エンジンのSERP上では、大手ポータルサイトも個人アフィリエイターも、まったく同等にシームレスに扱われる。そういう意味では、中小企業と個人サイトを結びつけているアフィリエイトというビジネスモデルの可能性は、まだまだ広がっていると見て間違いないだろう。
 前出の柴田氏は話す。「インターネットでは今後もどんどん新しいサービスが登場してくるだろう。そうしたサービスとアフィリエイトがどのように連携していくのか、そのあたりに業界各社のクリエイティビリティが期待されている。アイデア次第で何でも可能。これまでに存在しなかったような新しいビジネスモデルが生まれてくるかもしれない」
 今後、アフィリエイトはECを飲み込んでいく可能性もはらんでいる。何しろアフィリエイトは、インターネットの最大の特徴であるハイパーリンクを存分に生かしたモデルだからだ。

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知られざる中国通信インフラの実態 (@IT 2004年11月)

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不正アクセス禁止法をめぐる大論戦――office裁判(ASAHIパソコン 2004年11月)

 社団法人コンピュータソフトウエア著作権協会(ACCS)を舞台にした不正アクセス禁止法違反事件。サイトの脆弱性を指摘した元京大研究員が逮捕され、不正アクセスの定義をめぐって激しく争われているこの事件の裁判は、いま大詰めを迎えている。10月20日には第4回公判が開かれて被告人質問が行われ、通称「office」氏こと河合一穂被告(40)と検察官の間で激しい言葉の応酬が繰り広げられた。
 office氏に対する検察官の被告人質問は、のっけから険悪な雰囲気で始まった。
 「ACCSのサイトの脆弱性を最初に発見した時は、どこからアクセスしたのですか」
 「覚えてません」
 「職場からでは?」
 「覚えてません」
 「これは不同意証拠ではあるのですが、京都大学からのアクセスログが残っている証拠があります。これがその時のものじゃないですか」
 「わかりません」
 「ログが残ってるのに、なぜわからないんですか」
 「ログが真正であるかどうかわからないからです」
 検察官の表情も険しくなる。弁護団側は外形的事実は争わないという方針を立てているが、その外形的事実に関しても、office氏は徹底的に説明を拒む戦術に出たようだ。
 「本件のCGIプログラムへのアクセスは、CGIの脆弱性を利用したんですね?」
 「それは言葉を省略しすぎです。CGIを設置している人と、運用している人の理解の齟齬があったのが問題です」
 「じゃあ質問を変えます。今回閲覧したCGIのプログラムやログは、CGIの脆弱性と関係なく閲覧できるものですか?」
 「言ってる意味がわかりません」
 「CGIはあなたが閲覧した方法以外に、FTP経由でも閲覧できるんじゃないですか」
 「私にはわかりません」
 「じゃああなたが閲覧した方法は通常のアクセス方法ですか?」
 「通常のアクセス方法です」
 「イレギュラーじゃないの?」
 「本を買ってカバーをはがして中の表紙を見るのは、売っている側が意図していない見方かもしれませんが、それは批判されることではありません。それと同じです」
 たとえ話を持ち出すoffice氏を、検察官は叱責した。
 「質問に答えなさいよ!」
 これに対して弁護団からは「異議あり」の発言が飛ぶ。顔を真っ赤にした検察官は気を取り直し、「まず答から先にお願いしますね」とやんわりと釘を刺した。だがこれに対しても、office氏は当然のようにこう切り返した。
 「自分が適切だと思う方法で、答えさせていただきます」
 この強烈な裁判闘争を繰り広げているoffice氏は、京都大工学部卒。文化庁長官で京都大名誉教授の河合隼雄氏の甥でもある。事件当時、京都大学国際融合創造センターの非常勤研究員だった。だが逮捕後、非常勤の契約は更新されず、現在は無職となっている。だがセキュリティ業界では政府機関や企業のウエブの脆弱性を指摘し、イベントや雑誌で公表するなどの活動を続けており、office氏という名前の方が有名だった。しかし活動が派手で発言も過激なだけに、敵も少なくなかったようだ。
 事件の流れを振り返ってみよう。
事件は、office氏が2003年夏、ACCSのウエブサイト「ASKACCS」の脆弱性を偶然発見したことから始まる。彼はこの脆弱性を同年11月8日、東京・渋谷で開かれたセキュリティ関連イベント「A.D.2003」のショートプレゼンテーションで発表。さらに同じ日の夜、ACCS事務局やセキュリティ事故対応組織のJPCERTコーディネーションセンター(JPCERT/CC)にメールで連絡する。
 騒ぎが大きくなったのは、office氏がASKACCSの脆弱性を調べた際、入手した内部データの中に含まれていた個人情報が流出してしまったからだ。ASKACCSは著作権とプライバシーに関する質問サイトで、質問を行った人の個人情報がサーバ内部に保存されていた。そしてoffice氏は1184人分の①IPアドレス②氏名③年齢④住所⑤電話番号⑥メールアドレス⑦質問内容――を入手。このうち4人分のデータをパワーポイントファイルにしてプレゼンテーションの際に会場で見せた。さらにこのファイルが誤って会場でダウンロード可能な状態に置かれていたため、一部の参加者が入手し、匿名掲示板「2ちゃんねる」などに流出するという事態を招いてしまったのである。
 この流出事件でACCS側の態度は著しく硬化。さらに警視庁も動きだし、年が明けて今年2月4日にoffice氏は逮捕されることになる。読み違えてはならないのは、この検挙は個人情報漏洩を問われたものではなかったことだ。容疑は、不正アクセス禁止法違反と威力業務妨害。officeのメールによってASKACCSが閉鎖を余儀なくされたことについて、ACCSの業務を妨げた業務妨害であると判断されたのである。
 初公判は、5月26日に開かれた。罪状認否でoffice氏は「CGIのプログラムにアクセスしたことは認めます。しかし当該プログラムにはパスワードの認証はなく、アクセス制御が存在していませんでした。したがって、本件については無罪を求めます」と徹底的な抗戦を宣言したのである。
 裁判の争点はどのようなものなのだろうか。
 それはひとことで言えば、office氏の行為が不正アクセス禁止法に抵触するのかどうか、ということに尽きる。
 彼の行った行為を検証してみよう。
 ASKACCSは事件当時、専用のメールフォームを使って質問内容を入力できるシステムになっていた。このメールフォームに使われていたのが、CGI(コモン・ゲートウェイ・インターフェイス)と呼ばれるプログラムである。
 CGIとはどのようなものなのだろうか。たとえばユーザーがメールフォームに文字を入力し、「送信」ボタンを押したとする。するとユーザーが使っているInternet Explorerなどのブラウザは、そのメールフォームで使われているCGIプログラム名と、入力されたテキストをまとめて送信する。受け取った側のウエブサーバは、該当のCGIプログラムを呼び出し、入力されたテキストを一緒に渡す。CGIプログラムはテキストを読み込み、特定の結果を出力して実行を完了する。たとえばメールフォームの場合だったら、テキストををまとめて電子メールにして、管理者にメールで送るといった作業を自動的に行ってくれるわけだ。
 ASKACCSのCGIは、大阪に本社のあるレンタルサーバ企業、ファーストサーバ社が顧客に「標準CGI」という名称で提供されていたものだった。ACCSはこれを改変しないでそのまま利用していた。
 office氏がASKACCSに目を付けた動機は、裁判の被告人質問で明らかにされている。
 office氏「プライバシーについて調べようと思い、プライバシーというキーワードで検索したところ、ASKACCSのサイトが検索結果に表示されました。アクセスし、いつものようにHTMLソースを確認したのです」
 そしてソースの中に、csvmail.cgiというファイル名を発見した。メールフォームの受付に関するCGIプログラムらしい。実際には、メールフォームに入力したユーザーに対して最終確認してもらうため、入力した文字を画面に再表示させるためのプログラムだったようだ。office氏はこのプログラムにデータを渡すためのHTMLをダウンロードし、引数になっているデータ名の部分を書き換え、csvmail.cgiというプログラム名そのものを引数に指定し、csvmail.cgiに返してみた。
 すると見事に、プログラム自体のソースが表示されてしまったのである。そしてそのソースの中には、csvmail.logというファイル名があった。
 これはメールフォームの記録(ログ)ではないだろうか? そう考えたoffice氏は、先ほどのHTMLを再び書き換え、csvmail.logを引数として再度返してみた。
 案の定、csvmail.logの中身が画面に表示され、そこには過去にメールをフォームを利用した人たち1184人の個人情報が現れたのである。
 この一連の行為について、起訴状は「アクセス制御機能のあるサーバに、特定利用の制限を免れることのできる指令を入力し、アクセス制御機能によって制限されている利用を可能にする状態にし、不正アクセス行為をした」と断じている。裁判での争点となっているのは、①CGIプログラムにアクセス制御機能はあったのか②HTMLを書き換えてCGIプログラムに渡すという行為が、「特定利用の制限を免れることのできる指令を入力する」ということに当たるのかどうか――という2点である。
 office氏と弁護団は、CGIプログラムにはアクセス制御機能がなく、office氏の行為は不正アクセス禁止法には抵触しないと主張している。
 そして弁護団は冒頭陳述で、「不正アクセス禁止法は行政法に近い性格を持っており、交通法規と同じようにどのような行為が不正アクセス禁止法に抵触するのかという形式をきちんと示さなければならない」と指摘した。つまり「走り方が交通安全を守っていない」という曖昧な概念で運転者が突然逮捕されることがないのと同じように、不正アクセス禁止法でも「管理者の意図と異なるかたちでサーバが勝手に利用された」というだけでは逮捕されるべきでない、と訴えたのである。office氏のどの行為のどの部分が不正アクセス禁止法に触れるのかを、きちんと説明する義務があるというわけだ。
 今のところ検察官は、弁護側のこうした疑問には明快な回答を返していない。被告人質問で検察官は、「あなたはACCSが意図していない利用を行ったのではないか?」「ウエブサーバにはFTPでアクセスするのが通常の方法なのに、HTTPでアクセスしたのはイレギュラーではないか?」といった質問を数多く繰り出した。つまりoffice氏の行為がACCSの意図していない方法で「勝手に利用した」ものであることを立証しようとしているようだ。
 このあたりの双方の齟齬のようなものが、冒頭に紹介した被告人質問での“衝突”となっているように見える。
 裁判官がどちらの意見を採用するのかはわからない。今後、office氏と弁護団側の激しい論戦に対して、検察官がどのように反攻していくのかが注目される。

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無線ICタグは子供の安全の切り札になるか?(ASAHIパソコン 2004年11月)

 東京都豊島区の立教学院立教小学校(田中司校長)が今年9月から、無線ICタグを児童に持たせて登下校情報を管理するシステムの試験運用を開始した。学校への不審者侵入事件が相次ぎ、子供の安全確保が社会の大きな課題となっている中で、無線ICタグはセキュリティの切り札となるのだろうか?

 無線ICタグはRFID(Radio Frequency Identification)とも呼ばれ、超小型のICチップと無線アンテナを組み合わせたものだ。数cm程度の大きさのICチップにIDなどのデータが記録されており、電波によって「リーダー」と呼ばれる読み取り機と交信する仕組みになっている。
 無線ICタグにはパッシブ型タグとアクティブ型タグがある。パッシブ型は電池を内蔵しておらず、リーダが発する電波を受信した時にしか返事を返すことができない。超小型だが、交信距離は数十cm程度に限られる。これに対してアクティブ型は電池を内蔵しており、常に電波を発信してリーダと交信することができる。リーダと数十メートル離れていても交信することが可能だ。
 前者のパッシブ型は超小型で、コストも1個十数円程度にまで下がってきていることから、流通現場での利用が期待されている。流通センターなどの現場で、ベルトコンベアで流れてきた製品の内容や数量をまとめて計算することができるのである。また政府のe-Japan計画の一環として、世の中に存在するすべての食品をRFIDで識別して管理してしまおうという構想も始まっている。近所のスーパーの棚に並んでいる加工食品を手に取ったとき、その加工食品がどんな原材料を使い、誰が生産してどのように運ばれてきたのかという情報を、RFIDのデータベースによって確認できるようにしようというものだ。
 一方、アクティブ型タグに関しては流通現場での利用が期待されていないこともあり、チップの価格も1個数千円のまま高止まりしている。
 この高価なアクティブ型タグに注目したのが、セキュリティ業界だった。今回の立教小学校の実証実験に参加した富士通の部隊は、パブリックセキュリティソリューション本部。同本部第一システムインテグレーション部プロジェクト部長の山川幸一氏が説明する。
 「これまでダムの水量監視や自治体の防災無線、119番緊急通報システムなどを手がけてきました。今回、学校のセキュリティに注目したのは、不審者が学校に侵入する事件が多発していることが背景にあります」
 2001年6月、大阪教育大附属池田小学校に男が侵入し、児童5人を殺害した事件は今も記憶に生々しい。最近では昨年12月、京都府宇治市立宇治小で、侵入してきた男が児童2人を刃物で斬りつけ、けがを負わせた事件が起きている。警察庁のまとめによれば、2003年1年間で小学校に不審者が侵入して通報されたケースは、全国で22件に上っていたという。容疑者が逮捕されたのは18件。このうち9件は、容疑者が凶器を持っていた。そして22件のうち、ちょうど半数の11件では発生時に校門にカギがかかっておらず、3件は校庭にフェンスや塀のない学校で起きていたというのである。
 富士通はRFIDと赤外線センサを組み合わせ、無線ICタグを持っていない不審者が侵入するとアラームが鳴るソリューションを開発した。そしてこのシステムを、ちょうど校内システムの構築などで取引のあった立教小学校に提案したのである。今年1月のことだった。
 一方、私立の名門校として知られている立教小学校では、不審者対策についてはすでに相応の対策を取っていた。8年前から24時間の有人警備を行い、子供が学校にいる時間帯は2人、下校後から朝までは警備員1人が常駐している。公立小学校と比べれば、かなりのコストをかけた警備体制である。だが同校には、不審者対策とは別の悩みがあった。石井輝義教諭が話す。
 「私立小学校で、遠隔地から通学している子供が少なくない。中には2時間もかけて通ってきている子供もいる。こうした状況では、地域ぐるみで子供を守るという体制は取りにくい。たとえば朝6時に自宅を出た子供が行方不明になっていても、学校の始業時間である8時30分ごろまでは親も学校も安否の確認さえできないんです。この時間を何とか短縮できないかというのが、長年の課題でした」
 同校は7時半には校門が開けられるが、子どもたちの出欠が確認されるのは8時半になってから。もし通学途中で事件や事故に巻き込まれていても、対応は1時間以上も遅れてしまうのだという。そこで、校門を子供がくぐった段階で安全を確認できるセキュリティシステムの導入が決められたのである。5年生の1クラスを使った実験は今年9月に開始され、来年4月からは本格運用を予定している。
 富士通と立教小が共同開発したシステムは、次のような仕組みだ。
 子供が持つのは、アクティブ型タグである。手のひらに収まる程度の大きさで、樹脂製のケースに入っている。子どもたちには、ランドセルのカバーの内側にぶら下げるように指導している。
 立教小の校門には指向性のないアンテナが6カ所に設置されている。無線ICタグをぶら下げた子供が校門を通ると、アンテナが電波を受信。同軸ケーブルで、校門脇の守衛室内に設置されているリーダに信号が送られる。そしてこのリーダは受信信号を、イーサネットケーブルによって校庭中央の事務所内に置かれているホストマシンに送信する。ホストマシンはデータベースサーバとウェブサーバの2台が用意され、無線ICタグからのデータはいったんデータベースサーバに送られ、児童の個人情報と照合される。照合された段階でデータはウェブサーバにも送られ、あらかじめ登録された保護者のメールアドレスに「21日午前7時35分 ○○さんが登校しました」というテキストメールを送信する。
 また校門には、動画を撮影するビデオカメラも設置されている。このカメラの動画データは圧縮され、データベースサーバに蓄積されている。ウェブサーバに教諭がログインすればこの動画を閲覧することも可能で、画面に特定の子供の登下校時間を表示させ、その時間をクリックすれば、前後20秒間の動画が再生される仕組みだ。保護者から「うちの子供が帰ってこないのですが、どうしたのでしょう?」などと問い合わせがあった際、教諭がその子供の下校時間をRFIDデータで確認するのと同時に、本当に本人が下校したのかどうかを映像でも確認できるというわけなのである。またウェブサーバとデータベースサーバ間には、データベースへの外部からの侵入を防ぐためにファイアーウォールが導入されている。
 当初は「一度にたくさんの子供が登校してきたとき、同時に複数の無線ICタグを認識できるのだろうか?」「アンテナの感度は足りるのか?」といった技術的な不安もあったようだが、実証実験ではそうした問題は起きていない。逆にアンテナの感度が高すぎて、教室内でランドセルを動かしたとたんにRFIDが認識されてしまい、「○○さんは下校しました」と保護者にメールが送られてしまうというハプニングが起きている。富士通ではアンテナの微調整を繰り返し、本格運用への準備を進めているようだ。
 立教小学校での試験運用が報道されて以降、富士通には各地の教育委員会や学校、幼稚園などからかなりの数の引き合いが来ている。現状では導入費用が数千万円と高価で、しかも肝心のICチップが数千円と高止まりしていることから、すぐに爆発的な導入が始まるとは考えにくい。しかし岐阜県や和歌山県などでは別のIT企業と組み、RFIDを使った同様のシステムの実証実験も行われており、今後徐々に普及が進んでいく可能性は高いだろう。
 一方で、立教小学校の試験運用には、別の問題も生じてきている。技術的な問題ではなく、社会的な問題である。
 ひとつは、学校という場所をどうとらえるかという問題だ。教育現場では以前から「開かれた学校」「塀のない学校」をどう実現すべきかという議論が行われてきた。たとえばアメリカでは教会や図書館、美術館などの公共施設に教室を作り、生徒たちがそれらの教室間を自転車で回って授業を受けるという試みがフィラデルフィアやニューヨークなどの都市で行われている。子どもたちの多様性を尊重すると同時に、学校という現場を地域コミュニティに向かって開くべきだという考え方である。しかしこうした考え方と、不審者侵入から子どもたちを防ぐための防壁の必要性を、どう両立させればいいのか。
 立教小の石井教諭は話す。
「当初は、登下校の際に児童がバーコードやICカードを校門の装置にかざす仕組みも検討された。しかし個人的な意見を言えば、それでは学校が特別な場所になってしまう。学校は生活のリズムの中にあるごく普通の場所で、自宅にいるのと同じような感覚で過ごせる場所にしなければならないと思っています。登下校の際にゲートの通過など大げさなシステムを導入すると、学校が特別な場所になって、生活から切り離されてしまうような気がします。本当は子どもたちはもっと地域の中で学んでいかなければならないし、われわれも地域に出ていかなければならない。そうしたトレードオフの中で、ギリギリの選択を考えた結果、RFIDという使っていることを意識させない仕組みの導入を決めたんです」
 同校がアクティブ型タグを導入したのも、子どもたちにRFIDを意識させないためだという。交信範囲が大きいため、リーダーにかざす必要がないからだ。
 だが一方で、アクティブ型タグはコストがかかり、そして電波を自ら発信するという特徴がプライバシー漏洩の危険性をはらんでいるとも指摘されている。
 無線ICタグのプライバシーに関しては、セキュリティ問題の専門家として知られる産業技術総合研究所チーム長の高木浩光氏が警告を発している。高木氏は自身のブログで「アクティブ型タグの児童への取り付けは、誘拐犯や変質者にとっての情報源にもなりうる。裕福な家庭の子供しか通学していない学校の児童が判別されてしまう」と指摘。この問題についてはさまざまなマスメディアも取り上げた。
 RFIDを携帯することがプライバシーの漏洩になりかねないというこの問題に関して、立教小の関係者からは「そもそも立教の児童は制服を着用していて一目瞭然だし、犯罪者がわざわざRFIDを悪用するとは思えない」という反発も出ているようだ。しかし現状では、高木氏の指摘にきちんと応えられているとはいいがたい。
 立教小学校内部でも、無線ICタグの導入についてはかなりの議論が行われたという。「有人警備以上のものが本当に必要なのか?」「実際に教師がデータをいちいち確認するのはたいへんなのではないか」「担任の負担が増えないか」といった意見もあったようだ。プライバシーについての議論も少なからずあり、最終的に「学内に関しては学校が保護者に託されて児童を守らなければならない場所で、プライバシーの問題よりもまず児童の安全を最優先すべきだ」という意見が大勢を占めたという。
 富士通側は当初、学外の登下校時についてもGPS(全地球測位システム)を使って児童の所在を確認できるシステムを提案したようだ。だが関係者によれば、立教小側は「そこまで行うのは子供のプライバシーの侵害になりかねないし、学校外は学校の責任の範囲外になる」と断ったという。
 立教小の石井教諭も「学外の行動まで児童のすべてを把握するのは越権行為だと思うし、そこまでの社会的コンセンサスは得られないと思う。学校としてギリギリの選択が、校門の出入りの確認ということだった。どこまで踏み込めるのかは、これからもまだ議論していかなければいけないと思います」と話すのである。
 RFIDの導入には、学校のあるべき姿やプライバシーの保護をめぐって、さまざまなトレードオフが存在している。今回の導入にあたって、立教小はさまざまな場面で「ギリギリの選択」を迫られた。
 それらが本当に両立し得ないトレードオフなのか、それとも何らかのかたちで折り合いを保っていけるのかは、これから議論を進めていかなければならない教育現場の課題と言えるだろう。

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October 07, 2004

見えてきたネット業界の未来図(iNTERNET magazine 2004年10月)

 インターネットビジネスの世界に、ようやく第二の波がやってこようとしている。ライブドアと楽天という良くも悪くもネットビジネス業界を代表する両企業が、プロ野球という古い権威の世界に切り込もうとしている――その動きは、ネットビジネスが新たなパラダイムを迎えたことの象徴ともいえるだろう。
 1990年代半ばに産声を上げ、90年代末に華々しく盛り上がったかに見えたドットコム業界は、しかし世紀が変わって以降、ネットバブルの崩壊とIT不況の急速に荒波に飲み込まれた。
 風向きが大きく変わり始めたのは、2003年に入ったころからである。ヤフーや楽天、ライブドア、GMOといった“勝ち組“ネット起業の収益が急激に改善されるようになり、これら企業の存在感が重みを増していった。そして同時に、ベンチャー企業同士の買収・合併など業界再編の動きが加速していったのである
 その動きを作り出した背景には、3つの大きな力があった。
 ひとつは、ブロードバンドの普及である。
 ネットバブルが最高潮に達した1999年末、ブロードバンドと呼べるようなものは日本にはほとんど存在していなかった。わずかに東京めたりっく(後にソフトバンクが買収)が一部地域でサービスインしていた程度で、ヤフーBBやフレッツADSLなどが登場するのは2000年後半になってからのことである。当時は大半の人が、アナログ電話回線を使ってモデムでネットに接続していたのである。いま考えれば、そんな状況でネットビジネスが花開くはずがない。ブロードバンドの引き金が引かれたのは、翌2000年夏になってからだ。政府のIT戦略会議がe-Japan構想を策定してブロードバンド普及に本腰を入れ始め、そしてYahoo!BBによるADSLの価格破壊が起爆剤となったのである。その後ブロードバンドは急速に普及し、2003年5月には1000万世帯を突破した。これがネットビジネスを成り立たせる大きな土台となったのである。
 第2には、日本のインターネットビジネスが時価総額極大化経営とニューエコノミーという2つの呪縛から脱却したことだ。それはいわば、「虚」から「実」への転回でもある。
 90年代、孫正義ソフトバンク会長が提唱した時価総額極大化経営――大風呂敷を広げて株式の時価総額を高め、それによって公募増資や社債発行などで資金調達を容易にする――という経営手法は、ネット業界で一世を風靡した。いま振り返れば、実業をおろそかにして株価の値上がりだけを狙うという経営は虚業以外のなにものでもない。だがドットコム銘柄の高騰に目がくらんだ当時の投資家、ベンチャー経営者たちはそのことに気づいていなかった。ニューエコノミー理論も同様だ。「最初に最大のシェアを奪った企業だけが生き残ることができる」という幻想が蔓延した結果、起業家たちは無料でサービスをばらまき、収益を上げられないまま自滅していったのである。
 現在、勝ち組と目されている企業群も、自社株の価値を高めるためのさまざまな方策を採っている。だがその目的は、昔のネットバブル時代とは大きく異なっている。彼らの最大の狙いは、株式交換によってM&A(企業の合併・買収)を行いやすい条件を作るためである。
 彼らの最終的な目的は、ネット企業のメディア化を進め、ネット財閥を作り上げることである。そして「メディア化」という明確な目標に気づいたことが、ネット業界再編の第3の力となっていると言えるだろう。
 インターネットビジネスが進化すれば、メディアと流通・サービスは融合していく。その進化が突き進めば、いずれはメディアを核としたネットビジネスの再編が起きる。つまりポータルサイトを中核として、さまざまな流通ビジネスやサービス提供ビジネスが統合されていくのである。そしてこのモデルを高度化するためには、ポータルサイドのページビューを極大化させるしかない――。
 ヤフーと楽天がページビューを巡って熾烈な争いを繰り広げ、それをライブドアが急追しているという現在の構図を見れば、勝ち組企業の「メディア戦争」がいかに激しく繰り広げられているかがわかるというものだ。ポータルビジネス企業だけではない。たとえば独立系ネット広告の雄であるサイバーエージェントは、「自社媒体への広告出稿」という新たなモデルを提示し、メディア戦争に参戦しようとしている。
 ようやく幼年期を終え、離陸を果たしつつあるインターネット業界。セカンドステージは、メディアをめぐる激しい戦いとなるだろう。

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October 06, 2004

録画ネット裁判の持つ意味(ASAHIパソコン 2004年10月)

 在外邦人が海外から日本のテレビ番組を見られるようにするサービス「録画ネット」に対してNHKと民放5社が「著作権を侵害している」とサービス停止を求めて仮処分を申請していた裁判で、東京地裁は10月7日、サービス停止を認める決定を下した。
 録画ネットは千葉県松戸市に本社のある有限会社エフエービジョン(黒澤靖章社長)が昨年9月に開始したサービスで、仕組みは次のようなものだ。
 サービス加入者はまず、エフエービジョンからテレビチューナを内蔵したテレビパソコン一式を購入。同社はこのパソコンを加入者から預かる形で松戸市内にある施設のラックに設置し、国内のテレビ放送を受信できるようセットアップする。
 加入者は海外から、同社の認証サーバを経由して自分のテレビパソコンにアクセスし、番組の受信、録画操作を行う。内蔵HDDに録画された映像はインターネット経由で加入者の手元のパソコンに転送される。アメリカや欧州、アジアなど世界各国で、約250人の在留邦人が加入しているという。
 これまでにも、同種のサービスはあった。だがそのほとんどはNHKなどの指摘で警察が摘発し、廃業に追い込まれている。自社サーバに動画を溜め込み、それを加入者に提供するというサービスは明らかに著作権法の「公衆送信権」を侵害しているからである。
 だがエフエービジョン社はサービスを開始するに当たり、「テレビパソコンのホスティングサービス」という方法であれば著作権侵害には当たらないのではないかと考えた。つまり地上波をテレビパソコンで受信してHDDに録画する主体はあくまで加入者であり、エフエービジョン側はパソコンを預かって設置サービスを提供しているに過ぎない――という解釈である。
 法的にはかなり微妙に解釈が分かれる部分だろう。過去の事例を見ると、ビデオのダビング装置を設置して客にダビングさせていたレンタルビデオ店が著作権侵害に問われたケースもある。だが録画ネットはパソコンの所有者はあくまで加入者であって、エフエービジョンではない。
 だがNHKなどの放送局側にとっては、重大な背景事情があった。国内放送を海外で見られるサービスが合法とされ、既成事実化してしまうと、オリンピックの放映権に抵触してしまう可能性があるからだ。五輪放映権はNHKと民放連が共同して国際オリンピック委員会(IOC)に100億円を超える巨額のカネを払って取得している。そしてこの放映権は国内に限定されており、逸脱すれば厳しいペナルティが下される可能性がある。
 「録画ネット自体は小さなサービスだが、大手企業が目を付けて本格参入してきた……。録画ネットは『堤防の小さな水漏れ穴』になりかねない」(NHK関係者)
 そしてNHKと民放各社はエフエービジョンを相手取ってサービス停止の仮処分を申請し、裁判所は結果的にこれを認めた。「テレビパソコンの所有権は確かに各利用者に帰属しているが、設置場所がエフエービジョンの事務所に限られており、各種データを記録して保守・管理を行うなどして、同社はこれを管理・支配下に置いている」と認定したのである。
 これで録画ネット問題は終わるのだろうか。
 エフエービジョンの原田昌信取締役は、「会社の施設にテレビパソコンをハウジングすることが『管理・支配下に置いている』と認定され、著作権侵害に問われるのであれば、今後は加入者の日本の実家にテレビパソコンを設置し、海外送信をサポートする仕組みに改めたい」と話している。
 こうなってくると、著作権侵害に抵触するかどうかはいよいよ曖昧になる。
 市販のテレビパソコンを使って国内の地上波を受信し、インターネット経由で別の場所から鑑賞するといった方法を楽しんでいるパソコンマニアは多い。録画ネットと同じような方法で自力で海外から日本のテレビを見ている人も少なくない。いずれも私的使用の範囲内だろう。
 さらに言えば、「自宅で受信したテレビ番組を出張先や旅先で鑑賞できる」ことを売り文句にしている製品さえ存在している。たとえばソニーのロケーションフリーテレビ「エアボード」は、自宅にチューナ内蔵のベースステーションを設置し、外出先にモニターを持ち出して、インターネット経由でベースステーションに録画された番組を観るという楽しみ方を提唱している。たとえばこのエアボードの設置を、購入した街の電気店に依頼したとしたら、電気店は公衆送信権侵害に問われるのだろうか?
 インターネットの登場で、日本の著作権の枠組みは次々と綻びが見え始めている。録画ネットをめぐる放送局とベンチャー企業の紛争は、その氷山の一角とも言えるだろう。今後、こうした問題はますます増えていくのではないだろうか。

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ネットベンチャーが出版業に進出 アメーバブックスは成功するか(サンデー毎日 2004年10月)

 「アメーバブックス」という奇妙な名前の出版社がこの8月、東京都渋谷区に設立された。出版社は超大手から個人事業に近い零細まで、都内には数え切れないほど存在している。資本金1億円の小さな出版社設立というニュースは、ほとんど注目されなかったようだ。
 しかしこのアメーバブックスという会社は、きわめて興味深い可能性をはらんでいる。実はこの会社は国内初となるであろう「インターネット発」の出版社であり、ネットから生まれたコンテンツを書籍として刊行していくというビジネスモデルを考えているのである。
 同社を起業したのは、インターネット広告企業「サイバーエージェント」の藤田晋社長(31歳)。女優の奥菜恵さんの夫と言った方がわかりやすいだろうか。あるいは最近で言えば、プロ野球進出ですっかり有名になった堀江貴文・ライブドア社長(31歳)の盟友としても知られている。ライブドアや楽天の陰に隠れて知名度は今ひとつだが、このところ急成長を続けており、ネット広告業界では「勝ち組」企業と評価されている。その藤田社長が、人気作家の山川健一氏(51歳)と組んで始めたのが、アメーバブックスなのである。
 それにしても、なぜネットベンチャー企業が出版社なのか。
 藤田社長が言う。「出版不況だ、活字文化は終わったと言われているけれども、僕自身は最近、活字が以前よりも多くの人に読まれるようになったのではないかという実感がある」
 テレビに文化の中心の座を奪われ、今度は携帯電話やパソコンに人々のカネや時間を吸い取られ、すっかり衰退したと思われている活字文化。しかしそうではないというのである。「インターネットのホームページや掲示板、ブログ(日記)などはどれも文字が中心の文化なんです。ネットユーザーは以前よりもずっと多くの文章を読み、多くの文章を書くようになっていると思います」(藤田社長)
 山川氏も力説する。
 「文学は死んだなんて言われているけど、それはアンシャンレジーム(旧体制)が崩壊しようとしているだけ。ネットを舞台に、新しい言葉の文化の萌芽が生まれようとしているんです。従来の書籍は、必要なものを求めている人たちに的確な内容のものが届いていなかっただけで、言葉に対する期待値は今までにないほど高いと思うんですよ」
 彼らが新出版社のベースにしようと考えているのは、インターネットのブログである。ブログというのは、日常のさまざまな出来事やニュースに関する感想、趣味の話題などを自由に書いていくホームページ上の日記である。誰でも簡単に作成できるサービスが数多く登場しており、国内だけで30万人以上がブログを書いているという試算もある。そしてブログには他人がコメントをつける機能や、他人の日記を引用して感想を自分のブログで書く機能などがあり、多くの人がお互いの日記を批評し合いながら、ひとつの大きなコミュニティのようなものを作り上げている。そうやって切磋琢磨が続いているブログ界には、素人ながら相当なレベルの文章を書く達人も数多く登場しつつあるのである。
 「ブログの流行は、言葉によって自分の気持ちを何らかの形でみんなに伝えたいという欲求が、すごく高まっていることの現われだと思います。ひりひりしたリアルな言語によるコミュニケーションがブログにはあって、すごく熱っぽいエモーションを伝えようとしている人たちがたくさん存在している。その新しい文化を書籍にして一冊一冊出していけば、必ず支持されるだろうと信じています」(山川氏)
 アメーバブログがもうひとつ興味深いのは、取次を通さない流通を実現させようとしていることだ。全国の書店に通販のカタログなどを卸している「リプライオリティ」というベンチャー企業があり、この会社の流通経路を通して配本するのだという。
 第一弾は10月末、山川氏の新著「イージー・ゴーイング~悲しみ上手になるために」を刊行。「来年には10万部規模のベストセラーを出し、再来年には数十万部の大ヒットを目指す」(藤田社長)とかなりの大風呂敷を広げている。
 果たしてこの試みは、出版不況の突破口になるかどうか。注目されるところである。

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堀江貴文――変革に挑む男のルサンチマン(サンデー毎日 2004年10月)

 ライブドアが東証マザーズに上場して間もないころ、機関投資家向けに同社が株主説明会を開いたことがあった。今から4年前、社名がまだオン・ザ・エッヂだったころのことである。
 会議室には、銀行や生命保険会社などの幹部社員がパリッとしたスーツに身を固めてずらりと並び、堀江貴文社長の登場を待っている。だが堀江社長は開始時刻に姿を見せず、30分以上も遅刻してきた。しかもようやく現れると同時に、あろうことか居並ぶ投資家たちを無視し、大判の茶封筒に説明資料を詰め込み始めたのである。格好はおなじみのTシャツにジーンズ姿だ。
 投資家たちはあっけにとられた。さすがに腹に据えかねたのだろう。中のひとりが、きつい調子で言った。
 「堀江さん、30分も遅刻してきてひとことのあいさつもないんですか?」
 すると堀江社長は顔を上げ、「えっ?」とビックリしたような顔を見せたという。
 出席した銀行関係者のひとりは、
 「結局最後まで、堀江社長は遅刻のお詫びをひとことも言わなかった。信じられない態度だった」
 といまだに憤然としているのである。「結局、こんな失礼な男に投資した自分たちがバカだった、って銀行マン同士で慰め合ったんですけどね」とその関係者は話す。
 堀江社長の頭の中には、社交辞令というものが存在していないようなのである。
 実際に堀江社長に会ってみて、不快感を示す人は多い。何より態度が悪いのである。相手が自分よりも頭が悪いと知ると、とたんに白けきった表情になる。知識が少ないとさんざんにバカにする。いつも単刀直入な短い回答しか返さず、丁寧な解説を好まない。インタビュアー泣かせである。
 それは彼のビジネスの手法でも同様だ。儲かっているものはとことん追求するが、儲からないものにはいっさい手を出さない。優秀な社員はどんどん遇するが、使えないと思うと切り捨てる。「どうしてそこまでドライになれるんですか?」と聞くと、こんな答が返ってきた。
「だってバカですよ?」
 そうして「そんな当たり前のことをどうして聞くのか?」とビックリしたような表情を見せたのである。
 その不思議なキャラクターを、どう説明すればいいのだろうか。もっとも近い言葉を探してみれば、それは「身も蓋のない」とでも言えるかもしれない。
 その「身も蓋もなさ」は、ライブドアという会社の本質であるようにも見える。
 ライブドアは堀江社長が東大文学部在学中の1996年に設立した。当初はホームページ制作が中心の地味な企業だったが、2000年に東証マザーズに上場するころからめきめきと頭角を現し、インターネット業界の一角を担うに至った。当初30人足らずだった社員は、現在はグループ合わせて1200人。年間売上高は上場時の2億6000万円から、250億円にまで達している(今年度通期見通し)。
 なぜライブドアはこれほどまでに成長できたのだろうか。同社が他のネット企業と一線を画している部分があるとすれば、まず第一にはその徹底的な合理化経営だった。堀江社長自身は「キャッシュフロー経営」と説明している。つまり徹底的に経費(キャッシュアウト)を減らす一方で、営業に力を入れて売り上げ(キャッシュイン)を増やす。常にキャッシュが手元にある状態を維持し、「勘定合って銭足らず」と言われるような状況に陥って黒字倒産することを防ぐ。そのようにして会社を維持していけば、決して倒産することはないし、日銭を稼いで現預金を増やしていくことができる。
 実際、堀江社長はその原則を忠実に実行した。社内では接待費はいっさい認められておらず、社員の使うパソコンも自腹である。100円の文房具を買うのにも相見積もりを求められる。給料は能力に応じて、徹底的に差が付けられる。二十歳代でも最大1200万円の年収差があるという。三十代で一億円以上のストックオプションを得てフェラーリを乗り回している者がいる一方で、無能の烙印を押されて会社から去っていく者も少なくない。
 その一方で、営業にはとことん力を入れてきた。この考え方は設立当初から変わらず、「会社を作った直後は、もし技術的に難しいような仕事を頼まれても、断らずにすべて引き受けた。もし社内でどうしてもできなければ、社外に頼んでしまえばいい。とにかく仕事を増やすことが先決だった」と堀江社長本人も言っている。かなり身も蓋もないやり方だが、見ようによっては相当に地道な戦略ともいえる。
 だがインターネットバブルが盛り上がって莫大なカネがネット業界に流れ込んできた1990年代末、他社が青山や赤坂の一等地にオフィスを構え、豪華な家具をそろえてカネを浪費していた時も、ライブドアは無駄遣いを排除し続けた。そうして株式上場や公募増資などで集めた多額の資金を温存し、そしてネットバブル崩壊後の荒波の中で、資金繰りに行き詰まった他ベンチャーを温存したキャッシュを使って次々と買収し、巨大化していったのである。
 ライブドアが目指しているのは、さまざまなネット事業を集大成した「インターネット総合企業」とでも呼ぶべき企業体だ。それは楽天やヤフーも同様で、楽天の三木谷浩史社長はそうした企業体を「ネット財閥」と呼んでいる。
 もっとも現状では、幾多の企業を買収してサービスをそろえても、「一流どころのサービスをそろえているヤフーや楽天と比べれば、ライブドアは二束三文のガラクタを並べているだけ」(証券会社アナリスト)という相当に辛辣な意見も少なくないのだが――。
 それにしても、東大在学中は半ば引きこもりのようだったオタク青年が、これほどまでにエネルギーを噴出させ、身も蓋もなく金儲けに走っている背景には、何があるのだろうか。
 堀江社長の口癖は、「僕らは小僧の会社だと思われて、世間から馬鹿にされている」というものだ。近鉄買収提案から球団申請へと進み、これだけ有名になった今も、彼の世間への反感はあまり変わっていない。
 他のネット企業を呑み込み、巨大化を目指すライブドア。そのエネルギーの奥底には、堀江社長のそうした社会への反感――あるいは恨みのようなものが暗く潜んでいるようにも見えるのである。

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«あるベンチャーがテレビ業界に潰された――録画ネット事件(iNTERNET magazine 2004年9月)